仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

仏教の修行の難しさ

一段一段聖道門の教えを聞いていった人に苅宣道心という人がいる。

弘法大師の開いた真言宗を学んでいた人。

初めは九州の探題にいて6カ所ぐらい治めていた人。
もとの名前を加藤左右衛門繁氏という。

ある春に箱崎の花見に行ったところ、

お酒を飲んでいると花びらが散ってきて杯に落ちた。

普通の人は風流と思うが、そう思わなかった。

なんと儚い。私はどうだろうか。

今こうやって色々なところを治めているといっても

明日どうなるか分からない。

強く無常を観じた。これはなかなかの者。

四馬の比喩というのがある。

鞭影を見て驚く馬。

鞭毛に触れて驚く馬。

鞭肉に当たって驚く馬。

鞭骨にこたえて驚く馬。

 

鞭影を見て驚く馬は、ものすごく敏感。

鞭毛に触れて驚く馬、敏感。

鞭肉に当たって驚く馬、普通。

鞭骨にこたえて驚く馬、鈍感。

馬にも色々ある。

鞭影を見てというのは桜の花が散っているのを見て驚く人。

鞭、毛に触れてというのは霊柩車が走っているのを見て驚く人。

鞭肉に当たってというのは、友人や知人が亡くなったのを見て驚く。

鞭骨にこたえてというのは、親などの肉親が死んだのを見て驚く。

みんなどれくらいだと思うか。

苅宣道心は桜が散るのを見て無常を観じた。ものすごい無常観。

テレビを見ていても色々ある、多くの人が亡くなったときいても、

あああそこにいなくてよかったと思う人もいれば、

ただかわいそうだなで終わる人もいれば、その後どこに行くのか気になる人がいる。

被害や復興のことが気になる人もいる。

仏縁の深い人程、自分のことと見るようになるといわれる。

苅宣道心は自分のことと思った。そんな苅宣道心が落ち込んで帰ると、

千里という妻と須磨という妾がいた。

出迎えの琴をひいているのが障子越しに見えたが、頭から蛇が出て、

戦っているように見えてた。

普段は普通だが、水面下で戦っている。

しかもその原因は私ではないかと。

私が戦わせていると思うと、罪悪を感じた。

無常と罪悪を感じると、いてもたってもいられなくなり、

すべてを捨てて高野山に入って修行をした。

無常と罪悪を教えられているのが仏教。

無常と罪悪が分かれば後生の一大事が分かる。

仏教は後生の一大事に始まりその解決に終わる。

どの宗派でもそう。

苅宣道心は後生の一大事の解決を求めて14年間修行をした。

千里には実は子供がいて、石童丸といった。

14の時にどうしても父に会いたくなって、母に聞き高野山に登った。

父の特長は左の眉毛にほくろがあり、体格がよかった。


探したがなかなか見つからなかったが、向こうから苅宣道心が歩いてきて、

こういう人はいないでしょうかと聞いた。

その子を見て千里とそっくりなので自分の子供だと分かったが、

恩愛をたてという教えだから言い出せなかった。

そこで、その人は去年なくなったと言った。

石童丸はがっかりして帰っていった。

ところが、その後石道丸が山に戻ってきた。

聞くと、母と姉が亡くなって、

天涯孤独の身となったので父の跡を継いで修行しようかと思うと言った。

それを聞いた苅宣道心は妻と娘が死んだかといって涙を流した。

その時に今まで14年間築いてきた悟りが崩れてしまった。

わずか一滴の涙でがらがらがらと崩れてしまう。

一段登るのがどれだけ大変か、そして登ったと思ったら崩れてしまう。

0段

そういう道なんです。

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恩愛はなはなたちがたし 生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ   罪障滅し度脱せし       (高僧和讃)
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念仏三昧:一向専念無量寿仏。

阿弥陀如来の本願によってのみということ。

次にもいわれている。
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釈迦の教法おほけれど 天親菩薩はねんごろに
煩悩成就のわれらには 弥陀の弘誓をすすめしむ    (高僧和讃)
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天親菩薩という人も阿弥陀如来 の本願を伝えていかれた。