仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

人生の目的を知って喜べる

20世紀は、情報の時代といわれています。

世界一の長者ビルゲイツマイクロソフトなどの開発で成功しました。

21世紀は、「生命科学の時代」という人が多くいます。

臓器移植、遺伝子診断という言葉をよく聞きます。

脳死が人の死の認められて、臓器を移植でいるように成りました。

今まで、心臓、肝臓などを患っていて、直る見込みのなかった人も、

臓器移植のおかげで、命をのばすことが、できるようになりました。

また、人遺伝子の解明が急速に進み、大筋において解明できました。

これをヒトゲノム計画といいます。
人間の身体は、約60兆の細胞からできています。

細部の中に、核が、その中にある染色体は、DNAからできています。

そのなかで、遺伝子情報をになっているのが遺伝子といわれるものです。

この解読が進むと、将来、どのような病気に

どの程度の確率でなるかがわかるようになります。

その将来病気を発症する箇所を事前にしり、発症する前にしり、対処する。

画期的なことです。これを、遺伝子治療といいます。


また、人体の特殊な細胞を取り出し、培養すると、

人体のどのような箇所にもなる万能細胞を造れるように成り、

これからは、故障したり、病気になった箇所を、

ロボットの部品を交換するのと同じようにできるように成ってきています。

肝臓、膵臓は、約10年後には、できる。

心臓でも、21世紀半ばには、実現するといわれています。
これらのな目的は、ただ一つ、少しでも命を延ばすということです。

一分でも、1秒でも命を延ばそうと医学は、必死です。
ところがこのようなことがありました。

アメリカで心臓移植をうけ人が、移殖を受けるまでの、心の苦悩をかたっています。
心臓病をわずらい時、症状が悪化し、心臓移植の希望をだしました。

当時、移殖手術を受けなければ、あと、1年半とのことでした。

その間の心境を、このようにかたっています。
「平和な日々の暮らしが、心臓発作の一撃で、いつも断ち切られてしまう。

私は、テレビのチャンネルをかえては、自動車事故、強盗殺人、

自殺といった不幸な ニュースをあさっている。

頭は、怪我をしていても心臓は無傷、

しかも脳死になっている事故ならなんでもいい。

この異常な行動は、私には、当たり前のことだった。

生き延びるためには、人間の常識をこえねばならなかった」
と記しています。

また、いっています。
「なぜ彼らが、死んで、私が生きているのか。」と。
つまり、なぜそこまでして生きねばならないのか。

という悩みであった。

この男性も、今後また、病状が悪化したら、また移殖手術が必要になってくる。
しかし、彼はいう。
「再び移殖を受けられるほど、自分は強いだろうか。

 あの精神的ショックを経験してまで移殖手術を受ける価値があるだろうか。こ

 うした問いが、心に浮かばない日はありません」


人間だれしも死にたくない。臓器移植をしななければ死ぬと宣告されたら、

誰もが、人の死を願うこころもでてくるだろう。

しかし、いくら合法的な手段にしても精神的ショックがあったと告白しています。
何の為の延命なのか。

どんな手術をしても生きねばならないのはなぜか。

人間は、何をする為に生まれてきたのか。

この人生の目的があきらかになっていなところに、

延命に成功しても喜べない、苦しみ悩みのもとがあるのです。

もしも苦しみばかりの人生ならば、生きれば生きるだけ、

苦しみが延びることになってしまいます。

それでは、医学の意味が宙にまってしまいます。

では、一体、人生の目的はあるのか。あるのなら、人生の目的となにか。

この人類最大の問題に、答えられているのは、釈尊です。

「人身受け難し今已に受く 仏法聞き難し今已に聞く。

 この身今生に向って度せずんば

 更にいずれの生に向ってかこの身をどせん。」

とおっしゃっています。


「人身受け難し今已に受く」人間にうまれてきてよかった。

という生命の歓喜

人生の目的はあるんだぞ。

その人生の目的は、達成したなら、人間に生まれてきてよかった。

という慶びがふきあがってくるとおっしゃっています。

「仏法聞き難し今已に聞く」

仏法に出遭えてよかった。仏法聞けてよかった。

人生の目的を教えているのが、仏法ですから、

その仏法を聞けてよかったという慶び。

釈尊はまた、
「人生の目的をしらないで100年生きるよりも、人生の目的を知って、

1日生きたほうがはるかにすばらしい。」
ともおっしゃっています。
いかに、人生の目的がたいせつか。