仏教研究室

仏教を研究しています。

幸せになるにはどうすればいいか

 私達が幸せになるにはどうしたらよいのか?

 

それを理解するためには業力ということをしらなければならないのです。

業力というものは私達の行いには力があるのです。

その業力は大象100匹よりも強い力をもっているのです。

 

 昔の歌に「年ごとに 咲くや 吉野の山桜 木を割りてみよ 花のありかは」

という歌があります。

吉野山は山全体が桜が咲いていて山が桜か、桜が山かというような様子なのです。
 
 その吉野山に冬にいってみると桜は一本も咲いていなくて

枯れ木が何本か立っているだけなのです。

その桜の木を切ってみても桜の花はひとつもないのです。

しかしその桜の花は枯れ木でない限り、

桜の花を咲かせる勢力みたいなものがあるのです。
 
 ちょうどそれと同じように私たちの人生にも幸せとか不幸とかやってきます。

希望していた大学に合格ができたとか、希望の会社に就職することができた。

また、自分がすきであった人に結婚することができた。

これは桜の花が咲くように幸せの結果が現れてきたことなのです。

 また、よいことばかりではなくて、わるいこともあるのです。ではそのよう
な運命は何によってきまるのか?それは行い、業によってきまるのです。

しかしながらあなたが親切をするとか、人にあいさつをするとか、

掃除をするとかいろいろなことがあります。

 みなさんがしているいまの格好はよそ行きの顔ですし、

よそいきの格好です。

人間は他人にたいしてはいい格好をしようとしています。

そのような所は私達には多少なりともあります。

 しかし私達の種蒔きはよいことも悪いこともすべて蓄えられているのです。


しかし悪いことをしても縁がなければ結果は起きません。

これはさきほどの桜の花でも春という縁が来て桜の花が咲くように

私達の種蒔きも縁と合わさって結果を生じるのです。

 勉強でも、試験があるときに一生懸命勉強をしても、

勉強したのに、当日に体調が悪かったり、

自分が勉強していないところが試験にでることもあります。

それは縁と結び付かなかったからであって、やった勉強は必ず結果を生じるのです。

 

 少し勉強して結果が生じなかったからといって

勉強をやめてしまうことがありますが、それは

因果の道理からすればまちがったことなのです。