仏教研究室

仏教を研究しています。

仏法者は心の田んぼを耕す労働者

盤根錯節。

盤根錯節とは、荒れている、ぼこぼこである。

大地があると、あっちにもこっちにも、木の切り株があって。

いばらがある、石があちこちに埋まっている。

こういうように、荒れ果てた土地に、なんとか種を蒔いて、
実りの秋に収穫がとれるようにするのに、どだい種が蒔けん。

整地しないといけない。

石を全部とって、ようやく何もなくなったと思えば
ぼっこんぼっこんじゃない。

そこで、桑や鋤を持って、耕す。
そうしなければ、種が蒔けない。

 

お釈迦さまがお弟子を連れて歩いておられたとき、

ある農夫から苦情を受けられた。

「あんたたちはね、私達のようなものはわからんのじゃ。

 どだい忙しい。もうちょっと働いてください。

 油汗を流して忙しいんじゃい」

お釈迦さま、私も田んぼを耕しているのです。

皆さんの心の田んぼを耕しているのです。

お釈迦さまは心田を耕す労働者。

 

雑行の切り株とか、雑修の石とか。

仏法の話をしたら、ああ、尊い話じゃ。
だから、忍辱という牛と精進という鋤とで働く、

はたを楽にする。米を食べさせてあげる、

という楽もあるけれど、苦悩の根元を教える。

一時的な幸せしか知らない全人類に、

永遠に変わらない幸せを教えて、

そういう幸せに貴方もなれるという事。

その為には、仏法を聞いて素晴らしい、と思えるように。

 

ようやく実りの秋になると、実をつける。

もともとは、阿弥陀仏が、

聞く気のないやつに、聞かせるよう、

働きかけられている。

 

そこに、お釈迦さまが、心田を耕されたように、

我々仏法者も、人々の心の畑を耕して、仏法を聞けるように。

大体の人は、欲しいものといったら、

愛を下さい〜、単位を下さい〜。

恋人下さい〜。

一時的な、つけやきば的なものしか知らない。

仏法は、永遠に幸せにする。

しかし、なかなか、受け取れる心が、

相手の人にない。

受け取れるような心のない状態を荒れ地にたとえて、

そこで、この素晴らしい阿弥陀仏の本願に救われる為には、

私達が、掃除夫となって、

相手が仏法を受け取れるようにしなければならない。

 

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