仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

他力の信心と自力の信心の違い

「弥陀の本願まことにおわしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、
仏説まことにおわしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。
善導の恩釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞 が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」

金力にたつ者は、金力を失った時に倒れる。
ダイエーの中内一家はダイエーから追放。
そごうの水島元会長も天皇だなんだと言われたが
もうおしまい。

権力にたつ者は、権力を失った時に倒れる。
会社の課長だ、部長だ、社長だと言っても
定年で会社を辞めると、もう誰も見向きもしない
それまではお歳暮なんかも沢山来ていたのに
今は道で会っても挨拶もされない。

ところが、絶対に崩れない人、揺るがない人とは他力の信心をえた人。

たとえ、釈尊、善導、法然さまが揺らごうとも、
心を弘誓の仏地に樹てば、永久に倒れぬ無碍人となる。


たとえお釈迦さまは架空の人だった、と言う人がいても
善導大師は実は詐欺師だった、
法然上人は実は隠し子が3人もあった、となっても。変わらない信心

「えー、それじゃあ仏教はうそじゃないか」
と、それで、ふらふらになるとするなら、
それは、釈尊法然上人、善導大師の上にたっているということ。
人の上にたった信心は自力の信心。

他力の信心を獲得しなければならない。