さとりといってもピンからキリまであります。
軍人といっても二等兵から大将元帥とあるように。
相撲の世界でもそうです。
ふんどしかつぎから横綱まで。
相撲ならば割と分かりやすいのは、
相撲は上がれば上がるほど段々登るのが大変なんです。
最後は大関から横綱。
一番大変です。
同じようにさとりでも上に上がるほど時間がかかります。
難しくなります。
仏教では0段の私たちが仏のさとりを開くまで
三大阿僧祇劫かかるといわれています。
52段あるというのは華厳経にあります。
他にもありますよ。
いくつかのお経にあることをまとめるなら52段あります。
諸経典の説相を総合すれば52段あることが分かります。
沢山のお経の説きぶり、
総合したならば52あることが分かります。
勝手に言っているのではありません。
大宇宙の真理としてあります。
厳然として宇宙の真理としてこういう境涯があると説かれています。
また素晴らしい善果を得るには原因が必要です。
その原因をつくる位が菩薩であり、
ここまで登るために沢山の善、時間必要となるんですね。
その期間が三大阿僧祇劫とあります。
普段聞き慣れない言葉ですが、
一劫とは四億三千二百万年。
阿僧祇とは億兆よりも数十桁高い、桁をいいますね。
だから想像もできないほどの長さ。
それが三大阿僧祇劫。
0段から41段までを第一大阿僧祇劫という。
41段から48段までが二大阿僧祇劫。
そしてそのあと、52段までが三大阿僧祇劫。
仏になるにはこれだけの大変な時間がかかる。
だからこれを聞いたら絶望的に思いますが。
凡夫が仏になるのは不可能に近い。
その泥凡夫が正定聚の身にさせていただける弥陀の本願を伝えることを
ブッダは本懐とされています。
いかに弥陀の本願が素晴らしいかということです。