仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

言葉を離れた絶対の世界

絶対の幸福は言葉を離れた世界です。
それどころか、相対の幸福でも言葉で表すことはできません。

例えば、味は言葉で表せるでしょうか。

食べたことない人に、味を言葉で伝えることは不可能です。

では味は存在しないのでしょうか?

存在します。

前も話しましたね。

例えば、今では普通にありますが、今から約30年以上前、昭和の終わり頃にキウイという果物が並び始めました。
私はキウイを食べませんでした。
なぜかという形がじゃがいもみたいで、見た目が毛が生えているけばけばしい果物です。
それで、キウイキウイとやたら宣伝しているな、という程度の関心でした。

ある時、友達が「キウイ食べた事ある?」
と言ってきました。
見栄えが悪いから食べたことないと答えました。
そしたら友達は、あれはビタミンが豊富で体にいいし、おいしいよ。
と言ってきました。

けばけばしてじゃがいもみたい。というと
むきゃいいじゃん。それは皮でしょ。
皮をむくと緑で綺麗でおいしいんだよ、と言います。

「美味しいって、じゃあ、どんな味ですか?」と聞くと

「どんな味と言っても……」

友達は困りました。

「酸っぱいよ」
というと
「じゃあレモンみたいな味?」
と聞くと、

「レモンほど酸っぱくない」

「じゃあみかんみたいな味?」
すると「みかんでもない」

「じゃあ皮をむいたら緑色になるっていうことは、メロンみたいな味?」
と聞くと、「いや色はメロンのような緑だけど味は違うね」

食べたことある果物持ってきては
これでない、これではない、これではない。

レモンの味にあらず
みかんお味にあらず
メロンの味にあらず

ではどんな味ですか?

メロンの味。

それでは説明しないのと同じ。

そしたら友達は、スーパーに行ッて、買ってきました。
そして切ってくれて、食べました。
そしたらわかりました。

「なるほど、わかった!!」

一口、食べるという体験したら即分かります。

だけども食べるという体験する前は、

こうでもない、こうでもない……

あらず、あらず……

こういう表現しかできません。

そういうことで味というものを伝えます。
それは無理ですね。

味でさえ言葉で伝えられません。
では味は絶対の世界でしょうか?
相対の世界です。

私たちのわかる世界。
そんなことでも言葉にできないことばかりです。

ましてや絶対の世界です。これを煩悩即菩提ともいわれ、歎異抄では摂取不捨の利益といわれています。

仏教は、その絶対の幸福へ導く教えなのです。


究極の幸せ「煩悩即菩提」とは?