仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

煩悩即菩提が分からない原因

人間に生まれてきたのはなんのためか?
本当の生きる意味は何か。

皆何を知りたいと思って頑張っているかというと
人生の目的を知り、達成し、

人間に生まれてよかったという
絶対の幸福になるのが目的です。

その絶対の幸福というのは
煩悩即菩提です。

煩悩即菩提というと、
煩悩が喜びに転じるということです。

これは、言葉だけ聞いてわかったように思っている人が沢山ありますが、
そういう人たちは、そもそも煩悩が何だか分かっていない人ばかりです。

煩悩という言葉はよく使われますが
煩悩ということがよくわかっていないと
それがそのまま喜びになるといっても分かりません。

だから煩悩即菩提について知りたければ、
煩悩について相当よく知らなければなりません。


煩悩とはこれは実はすべての人間の姿であり、
すべての人間とは煩悩具足のものだと仏教で教えられています。

まずこれがわからないと煩悩即菩提は分かりません。
絶対の幸福が分からないので、生きる意味 も分からなくなるのです。

 

蓮如上人が嘘をつくよう教えられた理由

浄土真宗を日本最大の仏教の宗派にされた蓮如上人は
首に賞金かけられました。
それは、当時の仏教の中心だった比叡山からすれば、
蓮如上人が邪魔だったからです。

蓮如上人の首をもってきたら賞金を与える。
比叡山はこんなことまでしました。

だから当時蓮如上人の時代、
蓮如上人は浄土真宗門徒のみなさん檀家のみなさんに
注意を与えられた御文というお手紙の中にこういう注意が一杯あります。
その蓮如上人が自分の話を聞いておられた方に出されたお手紙を読みますと

「当流の念仏者をあるいはひとありて何宗ぞとあいたずぬることたといありとも」

つまり浄土真宗の皆さん、ありがたそうに念仏をとなえていると、それを聞いた
近くの人があらあなた念仏となえておられますね。
何宗ですか?と聞かれるわね。
その時に

「しかと当宗念仏者と答うべからず」

つまり「浄土真宗ですよ」と答えてはいけません。

ただ何宗ともなき念仏者とこたえなさい。

つまり、浄土真宗 だとはっきりいうな。
まぁ何宗ともないんですけどーはい。
悪く言えばつけということになるが、なんでこんなこといわれたのかというと
当時「はい、私は浄土真宗 です」と答えるとこの連中に殺されたのです。

浄土真宗の家が当時壊された、火を付けられたという記録がたくさん残されています。

この比叡山の連中が
浄土真宗 の家を潰せ!浄土真宗 のものを殺せ」
とやったものだから。

それは彼らには腹を立てる理由がありました。
天台宗の人たちが浄土真宗 に変わっていったのです。

最初、法然上人のときに多く変わっていったんですが、
その時は浄土宗は解散させられたから
その時は形の上では戻りました。
だけど蓮如上人の時はものすごい勢いでこの人達が浄土真宗 へ変わりました。

それで変わった人たちの家に火をつけます。
変わった人たちを殺すということは見せしめです。
お前、天台宗 離れて浄土真宗 へいったら命ないぞ。
こういうことです。

浄土宗の法然上人が大弾圧を受けた理由

法然上人が1175年に浄土宗を開かれて、
約30年後の1207年、当時の仏教界が権力者と結託して、
法然上人への大弾圧が起きました。

それは、浄土宗がものすごい勢いで広まったからです。

私の知り合いで花屋の人がいます。
どこで店ひらいているかといえば場の側です。
だからそこの場はどっかで花買っていかなくても、
場の入り口にいけば花屋さんがあるから
そこで買っていけばいいという
独占企業でした。

ところが何年か前に2倍ほどの大きさのガラス張りの
立派な新しい花屋ができました。

前からの花屋はだいぶ古い、店も小さい花屋です。
近くにきれいな最新式のお店ができました。
どっちで買いますか?

それは新しい、きれいなところがいいですよね。
それでお客さん半分以上とられました。
それでもうちに買いに来てくれる人は
昔からのよくしったお客さんは
あんたの所で買うよと言ってくれますけどね。

だけどそのうちあんたのとこで買うよといわれていたお客さんも
こっそーりと新しい花屋に行って
こっそーりと場にいくようになって行きました。

そうなったらどうなるでしょうか?
お客さん半分になったら収入半分になる。

今まで自分たちのところに来ていた人たちが
法然上人のところいっちゃったら、
それだけで収入半分ですよ。

そこに持ってきて生きた人に本当の幸せになれる道を説かれるこの方々と
死人相手の仏教をやっている者とはこれはもう明らかに勢いが違います。

生きとる人は私は法然上人のおかげで、
私は親鸞 聖人のおかげで
人間として生きる意味を知らされましたと
絶対の幸せに向かって頑張りますと
勢いがありますね。

こちらは死んだら極楽、死んだら葬式してもらえばどっかいいとこいけるんだろう。
こういう退廃的な教えですから勢いがありません。
ますます向こうに人が集まります。
それで彼らはあいつらが悪い。
自分たちが正しい仏教を説いとらんのが悪いとは思えないんですね。
あいつらが悪い。

今の花屋のたとえなら二倍ほどの大きな花屋ができたら
昔からの花屋はどう思うでしょうか?
あの花屋が悪い。
あの店ができたせいで客がとられたと思います。
これは正しくないのですよ。

その店ができるのはいつできるかわからんーないのだから。
いつそんなライバル店が出来ても大丈夫なように、
そんな店ができかかったらさらに2倍になる店ができるように運転資金ためとかなければなりません。
そしてその店の開店にあわせにその店の2倍4倍の店になるように
どーんとして素晴らしい花を集めて営業努力をすれば客はとられません。
自分の営業努力をしないの棚にあげて客とられました。
あの店が悪い!
火をつけてやろうか、そんなのだめですよ。
それは犯罪になります。
分かり易くいえばそういうことです。

彼らは努力精進しなければならないのにその努力精進をしないで
こいつらの火につけてやろうとしました。
それが権力者と結託して権力者によって弾圧してもらおう。

これが1207年、承元元年という年に起きたので日本史上では有名な
承元の法難というんですね。

これによって法然上人の吉水は解散となりました。

 

法然上人と当時の仏教界の闘い・大原問答の後……

法然上人が、当時の仏教界すべてを敵に回された大原問答は、
1185年です。
仏教学者全員を一人で打ち破られた法然上人は、名声が一段と高まりました。

当時の仏教学者たちとしては、分担して仏教学を学び、
法然上人をぶっ潰そうと思って攻撃したら
余計に法然上人のよい噂をひろめることになってしまったのです。

さあこれでますます天台宗真言宗華厳宗法相宗など、
これらの宗派は衰えていきました。
どんどん法然上人の教えはさかえるようになった。
だけど一度法論して負けたからこれから何も言えません。

ところが何も言わなかったらどんどん浄土宗は発展します。
そして比叡山興福寺もおとろえていきます。
これは忍耐できませんよね。
さあそこでどうしたでしょうか。

今度は1205年です。
約20年ですね。
ということは20年間、決定的な邪魔はできませんでした。

法然上人の邪魔をしたくて仕方なかったけど、
正式に大原で法論して負けちゃったんだから
もう一回やってくれというような情けないことは言えません。

負けたやないか、まだ不満かということになりますから。
法論で負けたら終わりです。

そこで何を考えたか?
この連中は教えの内容で勝負しても負けること分かったから
権力者と結託して政治権力でつぶそうと結託しました。

それが仏教界と権力者がつるみました。

 そして、1205年の興福寺奏上となります。
これは、法相宗興福寺から、朝廷に訴えがあったということです。

念仏の弾圧が始まったのです。

 

図解雑学親鸞

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は社会の裏で、大きな力にひどい目にあわれたかたの一人です。

図解雑学というシリーズが書店に並んでいますがその中に図解雑学 親鸞というものがありました。
その図解雑学親鸞という本の後ろに親鸞の生きた時代の年表があります。

非常にわかりやすい。

1番上の段は親鸞 に関連するもの
2番めの段は仏教全般に関連するもの
3段目の段はその時代の社会の出来事。

この親鸞関係の事項では1173年に京都日野に誕生。
これは1段目ですから親鸞聖人のことです。

京都日野の里に誕生。
その親鸞聖人の先生は法然上人です。

今日歴史の勉強をするのは法然上人は浄土宗を開かれた方。
親鸞聖人は浄土真宗を開かれた方と歴史 で勉強します。

1133年、法然誕生。
ちょうど親鸞聖人との年の差は40歳です。
40年先輩。
親子よりちょっと離れたぐらいの年の差です。

この時に、色々な因縁から、一気に本当の生きる意味が明らかになってきたのです。

 

インターネットの誹謗中傷について

2ちゃんねるなどで、匿名で好きなことを書いています。

誹謗中傷されて自殺する人もあります。
いわれるだけいわれつづけて削除依頼してくださいと言われてもなかなかしてくれません。色々な方法を使ってようやく削除してくれても、誹謗中傷は全くやまりません。次から次へと書かれます。
それが普通なんです。

だから韓国の女優なんかどんどん自殺するでしょ。
ほとんどがネット誹謗です。
何にも悪く無い人でもああやっていわれます。

そんなネットの世界はあまりにもひどい。
これは有名な話です。

だから大学でレポートを出すときでも、
ネットで調べてきました。
出典はウィキペディアです。
といって書いてもダメです。信用されません。
インターネットがいかに信用されていないかわかります。

では実際に影響されないかというと結構影響されるんですね。

私なんかもネットは信用なりませんよと
こうやっていっていながら何かものを買うとき、口コミを調べます。
その店を入って買った人の評価はどうかなと読みます。

あの中に絶対ウソがあります。
あの中にメーカーの回し者もいます。
反対会社の回し者の意見もあります。

だから同じ品物なのに5つ星の人と1つ星の人もあります。
全く正反対です。

これはどっちが多いかで判断するしかないですが、多い少ないかというと
よほど人気の品物となったらよい評価が多いのと同じぐらい悪い評価も
いっぱいあります。

あたりさわりのないものより、評価の割れるもののほうがいい商品の場合があります。

そうするとこれだいぶライバル会社の社員が頑張ってるな、というのもありますよね。

だからどこまで信じていいかというのは最後の最後、その商品を買うかどうかを決断するのは自分だなと思います。

それでもあたってるときはずれるときとあります。

また楽しんでいるんでしょうね。
匿名の悪意、匿名だったらなんでもありというところがあります。

ネットの世界はひどいが現実はどうかというと
ネットであれこれいうのはまだ可愛らしくて
現実はもっとひどいというか、いい加減ということも
知っておいたほうがいいでしょう。

 

田辺哲学を学ぼうと思ったヨーロッパの若者

あるヨーロッパの若者が、田辺哲学を学びたいと思ったそうです。

でも、田辺哲学を極めるには土台が教行信証だから
教行信証を読まないとわかりません。
教行信証を読みたい。

では教行信証は誰の本かというと親鸞聖人です。
親鸞 聖人は浄土真宗の開祖です。
では教行信証を読み、親鸞聖人の哲学を学ぶにはどうしたらいいのでしょうか。
教行信証を図書館で探したが母国語はなかった。
英語もなかった。
インターネットの探したら教行信証の英訳があったがわかりませんでした。

それはそうですよね。
日本人が読んでも漢文だからわからないものです。

漢文の教行信証、英訳誰がしたかわからないが読んでもわかりません。

それで彼は決意した。よし、教行信証をマスターすれば
人間に生まれてきた意味がわかるんでないか。
生きる意味がわかるのではないか。

それで16歳から19歳で、教行信証が読めるように日本語を徹底的に勉強したそうです。
しかも教行信証は漢文ですから漢文がよめるように
日本語と中国語を両方勉強しました。

三年間で中国語と日本語がペラペラになって日本にきたそうです。
私は日本語上手だねというと
僕はまだ日本語はまだ上手ではありませんと言います。

それを答えられる時点で上手だと思いますが、
実は日本語よりも中国語のほうが得意なんですといいます。

これより中国語できるんかとおもったが文法が母国語に似ている。
日本語よりも中国語のほうが勉強しやすいんですよといっていた。

そういうことで日本語で教行信証よめる力を身につけて
日本で教行信証を教えてもらおうとおもってきたそうです。

ところが、教行信証を教えてくれる人が誰もいなかったそうです。

それなら、こちらの浄土真宗のサイトのほうがずっと分かります。