昔、戦争でたくさんの若者が戦場に散っていった。
連合艦隊という映画で、零戦に乗った若者が、まだなれない操縦で、
敵艦にぶつかっていく。
その時「お母さん!」と叫んでいた。
ああ言うときに、誰もお父さんと言わないんだね(笑)
女の子でもそうだろうね。
お母さんというのは、単なる文字でなくて、その人にとっては自分の命なんだね。
先立つ不幸をどうかお許し下さいと。
その時は、もうお母さんと一緒になって、母の命を自分の命として死んでいく。
その時の言葉はただの文字ではないんですね。
分からない人にはただの字にしか見えないかも知れないが、
ここには阿弥陀如来 の命がこもっている。
だから、お釈迦様でさえ百千万劫かかっても説き尽くせないと仰有るんです。
親鸞 聖人も、不可称不可説不可思議の大功徳と仰有るしかない。
それを、迷った凡夫の考えで金ぴかの木像がいいという。
それを蓮如上人が叱っておられます。
不思議だと思うのは、南無阿弥陀仏をただの字だと思っているからだと。
悪凡夫が弥陀をたのむ一念で仏になれることが不思議だと。
一念の信心をいただくのが真実の宝を頂くと言うことで、
それは阿弥陀仏の命を頂くと言うことなのです。
そんな南無阿弥陀仏を今度頂くのです。
自分の書いたラブレターの返事に「わたしもすきです」と書いてあったら、
受け取った人には、それはただの文字ではない。彼女の命なんだ。
そんな命も、10年もするとなくなってしまうこともあるけれど。
絶対に裏切らないと言う約束が込められている。
尊んで、礼拝するものです。
下に置いて、踏んだりしたら大変です。