それは最後、「すべて夢だった」
「何もこの手の中に残ってはいない」と空しく終わっていくような
ものではない。
○何を手に入れたら「求めて本当によかった」といえるのか。
そんなものが本当にあるのか。
それを「いろは歌」の後半では、「ある」「あるから求めよ」と
訴えられている。
「うゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」
⇒「有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔いもせず」
「有為の奥山今日越えて」
有為の奥山…苦しみのジャングルに迷い込んだような人生
そこから、今日、今はっきりと抜け出る事ができた。
本当の幸せを手に入れたという叫び
「浅き夢見じ酔いもせず」
その幸せは浅い夢を見ているようなものでもなければ
酔っ払っていい気分になっているのでもない。
cf.秀吉の手に入れた幸せは「夢のまた夢」
夢も酔いも必ず覚める…覚めたら「なんだ、夢だったのか」
夢から覚めたような体験であるということ
これを歎異抄と言う本には、「無碍の一道」といわれています。
一切の障りが障りとならない、今死が来ても崩れない、
そんな、幸せな世界があるのだということです。