仏教研究室

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世間へ使うことは恐ろしく思うべし(蓮如上人)

アメリカの高額紙幣にのっている建国の父

ベンジャミン・フランクリンは、

小さい頃、笛が欲しくなって、定価の4倍で勝ってしまった。

 

この話は、私達は真価以上に争ってものを手に入れている、

ということを言われている。

 

では、何を代償に手に入れようとしているのか?

一時の楽しみに対してお金、労力、時間を代償にしている。
一時の楽しみも将来的な楽しみもたいしてかわりはない。

しかし時間的な限界がくる。

また身体も年老いて、楽しみであったこともできなくなる、

ということがあるスポーツ選手なら、昔のようにはプレーができない。

運動会で、よくある光景、お父さんがよく転ぶ。

体力、能力、の低下。
楽しみたいと思っても、続かない。

ゆくゆくは、すべてうらぎられる。

しかし、蓮如上人は御一代記聞書の中で、

仏法の為にどんなにお金や時間を使っても使いすぎ、

ということは無い、と言われている。

 

「世間へつかう事は、仏物を徒にする事よと、恐ろしく思うべし。さりながら、仏法の方へは、いかほど物を入れても飽かぬ道理なり。又報謝になるべし」と云々。
蓮如上人御一代記聞書227番)

物は仏法の為に活かせと教えられている。

 

世間へつかう事は、仏物を徒にする事よと、恐ろしく思うべし。

というのは、学校がおわると下宿でドラクエ

何時間も使って終わった後、今まで使った時間は何だったのだろう?

と思いながら、ついついやってしまう。

楽しいことは過ぎてしまうと、人一倍さびしい。空しい。
秋がさみしいのは、夏のあとだから。夏はチューブ。砂浜。夏の海。
秋の日はつるべおとし。気温の差は激しい。

夢・幻を得るために、限られた時間を使ってしまったのか。
ところが、楽しいときは、夢とは思えない。
臨終になってはじめて知らされる、という人が多い。

 

さりながら、仏法の方へは、いかほど物を入れても飽かぬ道理なり。

又報謝になるべし

仏法は、時間や労力を使って果たさねばならないものは何なのか、

を教えられている。

お釈迦様がその答をズバリ教えられた御言葉が、

「人身うけ難し今すでに受く」
喜びに満ち溢れたお言葉。
生まれ難い人間にうまれることができてよかった、

という生命の歓喜をうることが人生の目的。

 

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