アメリカの高額紙幣にのっている建国の父
小さい頃、笛が欲しくなって、定価の4倍で勝ってしまった。
この話は、私達は真価以上に争ってものを手に入れている、
ということを言われている。
では、何を代償に手に入れようとしているのか?
一時の楽しみに対してお金、労力、時間を代償にしている。
一時の楽しみも将来的な楽しみもたいしてかわりはない。
しかし時間的な限界がくる。
また身体も年老いて、楽しみであったこともできなくなる、
ということがあるスポーツ選手なら、昔のようにはプレーができない。
運動会で、よくある光景、お父さんがよく転ぶ。
体力、能力、の低下。
楽しみたいと思っても、続かない。
ゆくゆくは、すべてうらぎられる。
しかし、蓮如上人は御一代記聞書の中で、
仏法の為にどんなにお金や時間を使っても使いすぎ、
ということは無い、と言われている。
「世間へつかう事は、仏物を徒にする事よと、恐ろしく思うべし。さりながら、仏法の方へは、いかほど物を入れても飽かぬ道理なり。又報謝になるべし」と云々。
(蓮如上人御一代記聞書227番)
物は仏法の為に活かせと教えられている。
世間へつかう事は、仏物を徒にする事よと、恐ろしく思うべし。
というのは、学校がおわると下宿でドラクエ。
何時間も使って終わった後、今まで使った時間は何だったのだろう?
と思いながら、ついついやってしまう。
楽しいことは過ぎてしまうと、人一倍さびしい。空しい。
秋がさみしいのは、夏のあとだから。夏はチューブ。砂浜。夏の海。
秋の日はつるべおとし。気温の差は激しい。
夢・幻を得るために、限られた時間を使ってしまったのか。
ところが、楽しいときは、夢とは思えない。
臨終になってはじめて知らされる、という人が多い。
さりながら、仏法の方へは、いかほど物を入れても飽かぬ道理なり。
又報謝になるべし
仏法は、時間や労力を使って果たさねばならないものは何なのか、
を教えられている。
お釈迦様がその答をズバリ教えられた御言葉が、
「人身うけ難し今すでに受く」
喜びに満ち溢れたお言葉。
生まれ難い人間にうまれることができてよかった、
という生命の歓喜をうることが人生の目的。