三重廃立の第三の真仮廃立とは、
浄土門の仏教といって念仏称える仏教の中に、
真実の浄土門の仏教と仮の浄土門の仏教とがあると教えられたものです。
阿弥陀仏一仏に向かっている人の中に、
阿弥陀如来 が本願を建てられた正しい御心を知らない人がいる
ということなんです。
仮の浄土門の仏教というのは、念仏さえ称えて家庭円満に生活していれば、
死んだら極楽へ阿弥陀如来が連れていって下されるのだと信じて
念仏している人達をいうのです。
それに対して真実の浄土仏教というのは、
生命がけで弥陀の本願のいわれを正しい仏教の先生から聞いて、
自分のはからいは何一つ間にあわなかった、
と助かる望みのツナが叩き切られて地獄の釜底へ顛落した時、
間髪を入れない一念に、
たちどころに大慶喜の境地に踊り出させて下される、
阿弥陀如来の本願に遇った人達の仏教です。
死んでからではなく、この苦悩渦巻く人生を、感謝と懺悔と法悦で
明るく、強く、たくましく真実一路生きぬかせて頂ける仏教をいいます。
だから仮の浄土仏教を捨てて、
真実の浄土仏教を信じて救われよということです。
このように、廃立を除いては、
仏教も親鸞 聖人の教えもないことを知らねばなりません。
また、私達の救われる道もないのです。
三重廃立というのが三通り教えられていましても、
親鸞聖人の教えの醍醐味であり、
親鸞聖人が最も心血注がれたのが真仮廃立です。
真仮廃立というのは、
親鸞聖人の教えにとって
これほど大切なものはありません。
心を弘誓の仏地にたてというのは、
弥陀の本願を聞信しなさいということを教えられたものです。