仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

なぜ勉強しなければならないのか

以前、文部科学省
「なぜ勉強しなければならないのか」
という問いにどう答えればいいか、考えたことがありました。
つまり、国が乗り出しすほどの難問です。

勉強が好きで好きでたまらない、快感、
という人はあっても一部です。

私も何でこんなに意味のないことをするのかと思っていました。
社会で役立つかと思ったとき、
相当役に立たないものばかりです。

意味のないものをとにかくヤミクモに覚えます。
できる人はいい子、
できない子は悪い子、
勝ち組、負け組と分かれます。

これはいかがなものでしょうか。

楽しいものなら問題はありませんが、
なぜ苦しいことをしなけりゃいけないのか、
あなたも授業は、苦痛以外の何者でもない。

実験でも、なぜこんなデータをとるのか分からないけれど、
自分が休むと他の人が困るからというお付き合いします。

レポートを自分でも何を書いているか分からない、
先輩の考察をちょっと変えて書くという人もいます。

なぜ興味のわかない事をしなければならないのか、
たいてい、進学のため、大学に入るためです。

では大学生はなにしに大学へ行って勉強しているのでしょうか。
休講ならバク転して喜びます。
授業が楽しくて有意義なら、普通は悲しむはず。

とりあえず鼻をつまんで、大学を卒業して働きます。

今は不景気だから卒業するときに苦しむ人もある。
働くのは何のため?
お金がなければ、生きていけない。
結局そうやって、どこかに勤めて生きているのは何の為なのか。

これが改めて聞かれると分からない。
子供がよく聞くけど、じゃ勉強頑張ります、とはなりません。
結局なぜ勉強しなければならないのか分からない。
なぜ生きるのか分からない。

生きる意味
生きる目的
分からない。

楽しいことばかりならいいけど、
喜ばしきことばっかりならいいですよ。
苦しいこともあります。
うじうじ、くよくよしています。
なにか暗い、やりきれない、つかれる、あーあー、疲れた、だりー
そんなに疲れていないはずなのに
疲れている生きていることに。

そんなに気のりしない。
楽しいことばかりじゃないのに
なぜ勉強するのか答えられない親ばかりです。

それは、究極的には生きる目的が分からないからです。