もし生きる意味がなければ、苦しむために生きることになる。
これはおかしい。
人間何のために生きているのかっていったら、それはやっぱり幸せになるため。
だって、みんな幸せになろうとして生きているんでしょう。
毎日、幸せになろうとして生きている。
「そりゃ、あるだろうが、人それぞれでしょう」という人。
それは板切れ、丸太ん棒ですよと。
これはどういうことか。
一時安心したものの、続かないから別の丸太を求める。
だから不安になる。
その繰り返しでキリがないから、結局いつまでたっても幸せになれない。
一言で言うと、死ぬまで求道。
死ぬまで、安心も満足もありゃしない。
だから、みな不平不満、不安で、
安心も満足もしていないじゃないですか。
人それぞれと思っている心の声に対して、
その人それぞれで結局幸せになれていないじゃないかと言う。
確かにそうだなぁと思わせます。
「だから、それを探している」
「自分はこれでいいと思う物がある」
という人がある。
それに対して、幸せになれない原因がある、
それをみんな知りたいと思っています。
その原因は仏教に教えられています。
その原因をなくした時、
ああぁ〜、うれしい!、とか今日はとっても面白かったぁ〜!、
充実してたぁ!、とか、大満足ぅ〜!とか、
人間に生まれてきてよかった!
って言うような、本当の幸せになれるのです。
それか本当の生きる意味なのです。