仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

無碍の一道へ向かう団結

毛利元就が言った話で有名ですが、
一本の矢ならおれるが三本ならおれません。
団結の大切さを示したそうです。

団結することによって
一人一人の力でやっていたよりも
2倍3倍の力を発揮することができます。

私たちがより求道に団結します。
自他共に大切なことです。

真実一路すすむ人、和を乱してはなりません。


はらからと 本懐見事果たすまで
 共に励まし 共に進まん


真実の仏教を伝える集まりを大切にして仏教を聞く人は、
必ず本師本仏の阿弥陀如来に護られ、
三世十方の諸仏に守られ、
信心決定して絶対の幸福になれます。

歎異抄の言葉でいえば、
「無碍の一道」に雄飛することができる、
ということです。

 

ブッダの団結の精神

団結を破る者を仏教では、五逆の者と教えられています。
五逆罪は無間地獄に堕ちる無間業の大罪です。

 

ブッダは、一糸乱れない団結で、
仏教を伝えなければならない
と教えられているのです。

 

でも、いくら団結しようといっても、
人の心は人それぞれなので、
そう簡単に団結することはできません。

 

人間が集まったり離れたりするのは、
利害によるものです。

おいしい食べ物があれば、
みんなで団結して食べに行きます。
しかし、食べ終わると、もとのバラバラな心になります。

 

欲の心による団結は簡単ですが、
真実に向かっての団結は
そう簡単ではありません。

真実の仏教を伝える団体の団結は、
生きる目的達成に向かっての団結以外にはありません。
それを知らないと、行き詰まったり、
脱落したりするのです。

人間の心は、縁によってどうにでも変わります。
それが心を一つにして団結するというのは、
よくよくのご縁です。

私たちが仏教を聞くのは、
後生の一大事をみつめ、
真剣な聴聞 にならなければなりません。

そのようにしてはじめて真の団結が生まれます。

ぜひ仏教講座に足を運んで、仏教を聞きましょう。

 

 

私たちの本当の姿

この世は無常の世界です。

諸行無常ですから、私たちも無常です。
明日どうなるか分かりません。

このビデオからもわかります。

一日も片時も急がなければならないのは魂の解決です。
寝ても覚めても忘れてはなりません。

私たちの本当の姿は、邪見・憍慢といわれます。

正信偈では、私たちを

邪見・憍慢の悪衆生正信偈
と言われています。

邪見とは因果応報を認めないな心です。
また憍慢とは、自惚れ心です。

自惚れの塊が私たちです。

そういうのが私たちだから常に
仏教の教えを聞かせていただかなければなりません。
気を緩めるとすぐに忘れてしまいます。
自惚れ一杯ですから俺が死ぬとは毛頭思えません。

大丈夫大丈夫と、開き直ってしまいます。
こういうのが私たちだから常に目的は
何度も何度も確認させていただくことが大切です。

常に仏教講座に足を運んで
真実を聞かせていただきましょう。

 

私たちの人生で一番大事なことは?

私たちの人生で一番大事なのは、
生きる目的です。


生きる目的は、信心獲得して絶対の幸福になることですから、
一番大事な信心獲得することを本とします。

煩悩具足の私たちは目的を見失うのが自性です。
常に決勝点を聞かねばなりません。

気を緩めると目的を見失ってしまいます。
原点を見失ってしまいます。


それで求道を挫折したり取り返しのつかないことになってしまいます。

目的はこれだぞ
信心獲得
これ以外にないのだ。
出世の本懐はこれ一つだ。
ただ惰性に流されず、自分に誡めます。
気を緩めると忘れてしまいます。

目的をしっかりと定めて、進んでいき、
獲信できます。

親鸞 聖人の後生の一大事どうしたら解決できるのか、
その思いがあったなればこそ獲信するところまで進めたのであって、
これ見失ったのでは途中で道をそれてしまいます。

新春や破満の徳に輝けり

新春や破満の徳に輝けり

新春を迎えた今、
破満の徳に輝いています。
破満とは、破闇満願のことです。

人生究極の目的は破闇満願の身になることです。
破闇満願とは、中国の曇鸞大師のお言葉です。

心の闇を破って究極の願いを満たす。
ということです。

仏教を聞いて、
南無阿弥陀仏を頂くと、心の闇が破れ、
未来永遠の幸せの身に満たされます。

阿弥陀如来 の願いが満足します。

 

結婚おめでとう

こういう歌があります。

めでたくも限りある身の花火かな

結婚式をしたりすると、
結婚 おめでとうございます」
といいます。

ところが、めでたくも限りある身の花火かな、
あなたがふだん求めている幸せのことといってもいいです。

その幸せはどんなものなのでしょうか。
めでたいと言っていても
限りある身の花火のようなものです。
一瞬のものだということです。

無常の我が身ですから、
花火のような一瞬の喜びでしかありません。

趣味や生きがいの喜びは
ほんのしばらくの間のことです。

花火のようなものです。
今までで一番嬉しかったことはと聞かれて、
どう言うふうに答えるでしょうか。
「いやあ、何かいいことあったかな」
というような、色あせた記憶しか
残っていないのが実態でしょう。

何かいいことあった?

色あせた記憶。
昔楽しかった幸せだったと言っても
時間がたてば色あせた記憶しか残っていないのが実態です。
私たちの趣味や生きがいはそういうものです。

そして寝るときが一番幸せかな、
これが若者の声です。

働いて帰ってきて布団敷いて寝る。
寝るのが一番楽しみだと言っている人もよくあります。

働いたら身体を休めたい、それが楽しみです。

寝るときが一番幸せかなという
若者の声は生きがいや趣味が、
それだけ虚しいということです。

どんなに生きがいや趣味で喜びを得ても
本当の幸せにはなれませんから。

生きる目的はそんなものとちがうのです。

よろこばしきかなではじまり
よろこばしきかなで終わっています。

これが親鸞 聖人の教行信証にあります。

所詮はめでたいと言っても
限りある身の花火のようなものです。

本当のおめでとうと言えるのは、

めでたくは永久に輝く信を獲て

この世から未来永遠の幸せになる。
歎異抄の言葉では無碍の一道といいます。

永久に輝く信心を獲て永久に輝く、
おめでとうと言えます。
信心決定したら、
心からおめでとうと言えるのです。

露の身を生きながらえて

露の身を生きながらえて迎う春
今日の尊さ拝む一息

正月、迎春と言いますね。
信心決定いたしますとこの激しい無常の嵐の中よくも
生き長らえさせていただいたものという
生命の歓喜が沸き上がります。

 無常迅速の我が身なのに、よくも今年も、まだ生きていることができます。
いつ死んでもおかしくない。
露の身と阿弥陀如来無量寿の光に照らされてハッキリ知らされます。

露の身と知らされた体験から
よくも生き長らえさせていただいたものという体験です。

今日の尊さ、今日の一日が尊い
只今の一息はもっと尊い
吸う息吐く息が不思議
という世界に出させていただけます。

体いっぱい漲っている、生命の歓喜ですね。
生きる目的を成就した喜びが体いっぱいびんびん響いてきます。

今日の一日が尊い
只今の一息はもっと尊い
今生だけの問題ではありません。
未来永劫無間地獄に堕ちるか、
未来永劫の幸せを勝ち取るか。

本当は人生の目的ではない多生の目的です。
本当は一生や二生の問題ではない。
多生の問題だが多生と言っても一般では分からないから
生きる目的と言っています。

だから本当は多生の目的と言うべきです。
一生涯かかってこれ一つ達成できたら大成功です。
多生参学の問題です。
こんな大きな、大目的をもつ命だから
人命は地球よりも重いと言われるのです。