仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

人生の勝利者とは?

私たちにはいろいろの欲望があるが、
その代表的な欲を五欲と言われる。
その五欲を記せ。

食欲
財欲
色欲
名誉欲
睡眠欲

仏教を説かれたブッダ
私たちの欲望をこうして5つにわけて教えられています。

私たちは、朝から晩まで求めているのは五欲のことしか考えていません。

朝まず起きました。
すると食卓を見ると食事ができていました。
食べたい。食欲です。
早速食事をして、そして時計を見ると時間が迫っている。
時間がない。
もし会社に着くのが遅れたら給料に響く。
財欲ね。
給料に響いたらえらいこっちゃと思って必死に電車に乗り込む。
そして漸く電車に間に合った。
よかったこれで会社に間に合うとホッとした。
すると目の前に自分の理想のタイプの男性がいた。
見ると、あのこの手は、人魚の手のように綺麗だと見とれていた。
そうなると降りねばならない駅が過ぎてしまった。
しまったと思って引き返して必死になって会社に走っていったけれど、
間に合わなかった。

会社に駆け込んだけど、部長が怖い目で、睨んでいる。
あなたあなた、こんなギリギリに来て、
もっと余裕を持った行動をとらないといけないな。

これで昇進もパーになったか。
名誉欲。
もうこうなったらやけくそや。
早退だ。
気分が悪い。
帰る。
寝てやる。
睡眠欲で早退して帰ってしまった。

考えてみると私達の生活は朝から晩まで五欲に引きずり回されています。
人間すべての営みは、この五欲を造る工場とも言えます。

一切はこの五欲を満たすものを生産するものばかりです。
政治にしても経済にしても人間の営みはどうしたら美味しいものが食べられるか、
お金が入るか、こんなのばかり。

しかし人生の勝敗は、欲望を満たした量で人生の勝敗が決まるのではない。
人生の勝利者となるか敗北するか。
どちらかですね。
後生の一大事の解決ができたかどうかで人生の勝敗が決します。

三毒の煩悩とは?

仏教では、私たちを煩わせ、悩ませる煩悩に108あると教えられています。

中でも最も恐ろしい3つが、貪欲瞋恚愚痴の3つです。

それぞれどんなものかというと、
まず貪欲ですが、貪る欲とある。
仏教では欲そのものに はない。

しかし、貪る、つまり我利我利だから恐ろしい。
自分のことしか考えずに求めるからになってしまう。
欲そのものに はなくても私たちが欲を起こすときは我利我利で求めるから。

これで沢山のを作ります。
この欲が邪魔されますと私達は腹を立てます。
それを瞋恚という。

怒りとは心の上に奴と書く。
心で自分の欲を邪魔したものを、あいつめ、こいつめ、と殺している。
腹の立ったときはいくらご恩のある人でも、
親でも先輩でも恐ろしいことを思ってしまう。
恐ろしい心が瞋恚です。
そして恐ろしい報いをうけて行かねばならない。

愚痴、愚もおろか、痴もおろかと言うことで馬鹿と言うことですね。
腹が立ってもどうしようもない相手だと愚痴の心が起きてくる。

馬鹿な心。
大宇宙の真理、因果の道理が判らない心。
だから不幸や災難が来ると人のせいにして恨んだり呪ったりする。

また人の幸せを見ると因果応報が判っていたら、その人の種蒔きだ。
自分が幸せになれないのは、悪い種蒔きだと分かれば、妬んだりしないのに、
因果の道理が、判らないから嫉妬の心を起こす。

それでまた、ますます苦しむようになる。
これで日々沢山の悪業を作って人生が苦しみに染まっている。
これが煩悩の親玉。
これを三毒の煩悩と言います。

現在の大切さ

ブッダは私たちの運命について、
このように教えられています。

過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。(因果経)

過去と現在と未来の3つを三世といいます。

因果の道理は当然三世を貫きます。
因果の道理間違いありません。
それは当然因果関係を徹底して明らかにすれば、
それは当然三世を貫きます。

そこまで教えているのは仏教しかありません。
仏教は徹底した因果の道理を教えますから、
当然三世を貫きます。

私たちは愚痴であるからなかなか三世がわからないことがありますが、
己の本当の姿が知らされたら、ハッキリこのことがわかるんですね。

過去の一切が、現在の運命におさまっています。
現在のたねまきが、一切の未来を生みだしていきます。
そして生命は流れています。

職場で部下がミスをしたときの対応

部下がミスをしたとき、
どうしてあなたは何々しなかったの、
と理由を聞かないようにします。
なぜ?これを私たちは聞きたくなります。

明確な答えがあっても、言いにくい時は言えないものです。
それでもちゃんと上司に報告できる人は、立派な人、理解の深い人、
その上司との信頼関係の厚い人です。
普通はできません。
自分が部下としてなら、
そういうことを聞いてもらえるような人になるといいです。
また自分の部下にはそういったことは聞かないようにします。

自分の所属している組織を悪く言う。
なんかうちのって暗いんだよね。
自分は違うと思っている。
本当は自分が暗い。
まず自分から明るくすることが大切です。

仏教では、因果応報と教えられています。
自分の種まきによって、自分の運命が引き起こされているのです。

引き寄せの法則でもいわれている通りです。

お世話になったらお礼が大事

何かを頂いたり、お世話になったら
ありがとう、と言います。

それも仏教では布施といえます。

お礼状を例にとって言うと、
何かくださった人にお礼状を送ります。

または今はメールがあるのでお世話になった人に
お礼状を出してもいいと思います。

年の離れた人にはお礼を言うけど、
同輩とかちょっとしか離れていない人にはしない、
そういう人にこそお礼を言ったり
お礼状を出したらいいと思います。

他の人に紹介をする時なら、
みんなの前でクローズアップされて喜ぶ人と、
そんなことされるのは嫌という人があります。

オーバーな誉め過ぎをするよりも、
本人がいない時に影で誉めるといいでしょう。

最近は、オーバーにいわれると問題ありの人のほうが
多い感じがしますので、
かげで言うか、個人的にお礼を言うのがいいでしょう。

 


ありがとうの出どころは海亀?(人間に生まれたことを感謝するには?)

 

理解して差し上げるのも布施

布施について具体的にどうすればいいか研究してみましょう。

布施とは、与えるということです。

与えるといってもお金や物だけではありません。
相手の話を聞いて、理解してさしあげることも、布施です。

まず、なるほどとうなずきます。
心で「何を同じ事100回言ってんだよ」と思っても
「なるほど」とうなずきます。

「124回目ですね」とは言わずに、
「メモ取らせて下さい」とか言います。

相手は言いたいのだから。


スポークスマン、部長や課長が何かをアナウンスする場合。
スピーチするひとではなく、たとえば次の立場の人が、
みんなを静かにさせます。

また、部長が何かを発表した時、
「集合して下さいね」
結局集合場所を言っていないと。
聞いている人はゆとりがあります。

聞いている立場で、あれが抜けたなと、
つっこみを入れたり、質問したりします。
サジェストする、フォローします。
発表する人はゆとりがありません。
これが大事です。

こういうのも布施の一種です。

これは因果応報で、ものすごくいいことあります。

 

 

無関係の人がいない記事とは

ラソンをするとき、ゴールがないと、走ってられないですよね。

人生も、マラソンのようなものです。

毎日走り続けていますが、どこへ向かって生きているのでしょうか?

生きる目的ということですが、目の前の目標ではありません。

何のために生まれてきたのか、何のために生きるのかという
人生究極の目的は何かということです。
人生これ一つということです。

こうなってくると、
なんのために生きるのかっていうと、やっぱり幸せになるためかな〜」

となります。

そんなことわかっているという人もあります。

それは何のためかというと、仏教では、絶対の幸福になるためです。

これは、廻心ともいいます。

心が回ると書いて、苦しい人生が幸せな人生にガラリと変わります。

自分の外側を変えるのではありません。内側が変わります。

外とは自分の周囲環境、内とは自分の心です。
絶対の幸福というのは、仏教の言葉でいうと、信楽ということです。

煩悩あっても無き分なり。
罪悪あっても無き分なり。

となります。

自分を知って、自分が変われば、
つまらない人生が楽しい人生となります。
つまりこのブログのテーマはあなた自身です。
無関係の人はありません。

死も同じ。
無関係な人はありません。

これは盲点だと思います。

 それは仏教に教えられています。