仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

科学と仏教の関係

生化学会の会長の水原舜爾先生は、 こう言っています。


仏教は、現代科学にちっとも矛盾しないばかりか、
これから科学が進みゆく究極のところを先取りした感があります。
(科学時代の仏教)

科学者が、科学の先ゆくところを先取りしているのが仏教だと言っています。
科学者ではない一般の人でそう思っている人はいるでしょうか。
普通は逆です。

科学が先で、
科学にあうのが正しくて
合わないのが間違っていると思っています。
「科学的」という言葉を権威をもって用いる人が多くあります。

科学が一番、最高と思っています。
そういう人が一番、多くあります。

水原先生は反対です。

「科学を包む仏教」と言っています。
科学が取り扱う範囲は物質だけで、精神的なところは対象外です。
科学に合わないことを否定してはならないということです。


輪廻転生・六道輪廻とは?科学との関係

 

幸せ者は不安?

昔、1億円を拾った人がいました。

大貫さんという人で、一億円習得事件といわれて1980年にテレビで有名人となりました。大貫さんは、もともとトラックの運転手だったのですが、銀座で1億円の入った風呂敷包みを見つけました。
そのままかっぱらわずに警察に届けたところ、テレビで全国ニュースになり、有名人になりました。

ところが、それから自宅に電話や手紙がたくさん届き、脅迫も受けたそうです。
それから半年後、持ち主が現れなかったので1億円を手に入れました。

税金も3千万円以上納めたそうです。
ところが、脅迫や嫌がらせをたくさん受けており、警備員をやとって防弾チョッキを着て警察に受け取りにいったそうです。

お金をたくさん持つと、不安になるということです。

ところが仏教に教えられる絶対の幸福になると、不安はまったくありません。

冥衆護持の益といって、菩薩神々から守られます。
また、諸仏護念の益といって、大宇宙の仏方から100重1000重に取り囲まれて守られます。

そして、心光常護の益といって、諸仏の王である阿弥陀如来から常に守られます。
このような数限りもないガードマンに守られて、大安心の幸せになれるのです。


平家物語の美女・仏御前の不安とは?

仏教はなぜ現代人に人気がある?

仏教と聞いたら自分と関係ないと思っている人ばかりです。

それどころか怪しいと思っていたり、うさんくさいと思う人がたくさんあります。
ところが最近、ビジネスパーソンの中には、仏教を学んでいるという人が多くあります。

その理由の一端が、仏教の教えの深さにあるように思います。

東洋大学の竹村牧男学長の書いた『哲学としての仏教』という本があります。

「はじめに」に

 仏教というと、どんなイメージであろうか。
仏教と聞けば、まずおを思い浮かべるであろう。
それは、家の近くのお寺であろうか。……そして結局、仏教とは葬式をする宗教だ、などというところに落ち着くのかもしれない。

よく葬式仏教などといわれるように、一番に仏教はもっぱら死者の供養に関わるもの、と思われたりしているようである。……

 

このように、一般人の考える仏教は葬儀だといっています。
ところが、その後にこのように続きます。

とはいえ、もちろん本来、仏教は葬式のためだけにあるものではない。むしろ生きる人の、生きていくことの拠り所となるためのものにちがいない。

さらにこう続きます。
昔からの仏教は哲学的で、知性を重んじ、客観的な真理を追究するものでもあるのだ。今日の哲学に勝るとも劣らない、深い知性があるのである。それはきっと人びとの人生を、なんらかのしかたで豊かなものに深めていくことであろう。

このようなところが、ビジネスパーソンや知識人が学びたいと思うところなのでしょう。そして、仏教には本当の生きる意味が明らかにされているところも、現代人に人気のあるところだと思います。


真理とは?私たちが求めてやまないたった1つのこと

どんな人が本当の幸せになれるのか?

仏教では蓮の花がよく使われます。
極楽には蓮の花が咲いています。
蓮台というのは蓮の台です。
それはなぜかというと、真実の信心には蓮の花のような特徴があるからです。
正しい信心ということで『正信偈』にも教えられています。

信心というとや仏を信じることだと思いますが、それだけではありません。
私たちは、何かを信じないと生きていけないので、色々なものを信じ、心の支えにして生きています。
たとえば、お金を心の支えにしている人もあります。
親友を心の支えや生きがいにしている人もあります。
仕事や趣味を生きる希望にしている人もあります。
誰しも明日も生きていられると命を信じて生きています。

ところが、信じていたものに裏切られたときに苦しみます。
例えば結婚詐欺にあうと苦しみます。
たくさんのお金をえても病気で喜べなくなります。

これらの信心は、そんな無常の裏切る信心です。
続かない、儚い信心だということです。

ところが、真実の信心は、絶対裏切らない信心です。
その蓮の花にたとえられる1番目の特徴は、「淤泥不染(おでいふぜん)の徳」です。

汚泥というのは、悪人のことです。
歎異抄(たんいしょう)では第3章に教えられる悪人正機です。
真実の信心の花は、悪人の心に咲くのです。
しかし、善人と悪人がいて、善人には咲かなくて悪人に咲くということではありません。

ブッダは、すべての人の心のすがたを
心は常に悪を念う」(大無量寿経)と教えられています。

すべての人は悪人だ、といわれているのです。

ですから、悪人だと知らされた人が悪人なのです。
知らされた人が救われます。

すべての人が悪人ですから、すべての人が本当の幸せになれるということです。

 


諸行無常とは?儚い人生を輝かせるただ1つの方法

宗教とは何か

宗教とはなにか、アインシュタインがいっています。

彼は、宗教を3つに分類しています。

恐れの宗教と、倫理的宗教と、宇宙的宗教です。

1恐れの宗教

アニミズムのような原始的な宗教です。
日本人は、キツネや蛇をにして祈ります。
または、何でもしめ縄を付けて神といいます。
神道でもこのようなものは、アインシュタインの恐れの宗教に分類されてしまいます。


2倫理的宗教
 キリスト教など、人格的な神が出てきますが、
それぞれの宗教で善悪を決めています。

3宇宙的宗教
 これは法則のような宗教で、アインシュタインは、仏教が一番宇宙的だと言っています。

仏教は科学が進歩するほど否定されるのではありません。
科学が進歩するほど仏教の深さが分かります。

日本では、宗教というと怖いという人が多くありますが、
アインシュタインは、宗教観がぜんぜん違います。

宗教というと怖いという理由。
日本はもともと仏教と神道だけでした。
まとめて呼ぶ言葉はありませんでした。
鎖国が解けていろいろな教えが入ってきた。

江戸時代から明治何が変わったかというと、江戸時代は寺請制度が作られて、戸籍をで扱っていたので仏教が強い力を持っていました。
今でいう住民票の発行なども昔は寺が発行したのです。

ですから現在でも、寺は日本中に7.6万あるといわれます。
コンビニよりも多くあります。

ところが明治になると神の国となった。太平洋戦争に入っていきました。
侵略的な国になりました。

江戸時代は神道が押さえつけられていました。
それが明治時代に廃仏毀釈という仏教弾圧が始まります。
仏教を廃止、ブッダを謗ります。

神道の学者が仏教の権威を落とす方法として考えたのが世界中の宗教と仏教をまとめて、宗教としたのです。
神道と宗教の2つにしました。

戦後は神道も宗教に入っています。

ところが仏教は西洋では哲学といわれます。

キリスト教はreligion。再び結びつける。
神がアダムを作り、イブを作ったその子孫が人類です。
神が怒って、追放した。幸せになるのは再び神と私が結びつかねばなりません。
religionを仏教というなら、キリスト教を仏教といっているようなものです。

キリスト教などを宗教というなら、仏教は哲学です。
しかし実際には、哲学とも言えません。
哲学でも宗教でもない、仏教というしかないのが仏教です。


【第8話】仏教と他の宗教の違い(キリスト教徒が激怒するかも?)

日本人は宝の持ち腐れ?世界から注目を集める仏教

東洋哲学というと色々な意味がありますが、仏教もその一つです。
今、世界中で注目されているのが仏教です。

なぜなら西洋の人たちも、行き詰まりの解決を東洋に求めているからです。

西洋では仏教は宗教というよりも哲学です。

 

そんなことは知らない人が多くあります。
いろは歌は、世界の実相と本当の生きる意味を教えられています。

「色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず」

 というこれだけですが、世界中の思想に影響を与えてきました。
日本人は、仏教というと、葬式法事を思い出します。
葬儀お経を聞いても、早く終わらないかなあと思っています。
仏教というと宗教と思っていたか、哲学と思っていたでしょうか。

ブラジルに色々な国の人がいます。
ブラジルではトップのサンパウロ大学で、医学部は中国人が半分です。
工学部は日系人が多くなっています。

日本文化研究所がありました。
60-70人入れる教室にいっぱいでした。

日本では、お経は死んだ人のためと思っています。
死者儀礼だと思っています。
ところがブッダは、生きている人に、生きる意味を教えられています。

生きる意味、そして、どう生きるかを教えられています。

絶対は、仏教にはいません。

そういうのだったら、欧米の学者が注目するはずがありません。
いかに日本人が仏教に対して間違ったイメージを持っているか
分かります。

いろは歌は、1000年前から親しまれています。
もとになったのは仏典の言葉です。
そんな深い、古い言葉の中に人生に必要な思想が付きている、
こう芥川龍之介は、言っています。
それを知らないのは宝の持ち腐れです。

なんでも鑑定団、おじいちゃんからもらった掛け軸、250万。
驚くことがあります。
値打ちのわからない人が、骨董屋さんが一万円で買って、もっと高く売ります。
仏教は、西洋以上のものなのです。


いろは歌に隠された臨終に後悔しない秘密の方法

生きる目的が書かれているのは仏教の本のみ

多くの人は、どう生きるかさえも考えていないで、ただみんな生きています。
まれに最後の方で、なぜ生きるかで立ち止まっている若者がいます。
自殺者は、年間2万人以上もいます。

年配の方では病気や経済的な問題もありますが、若い人の場合は、人間関係によって自殺する人あります。

経済的には、安定してきているので、自殺は一時期よりは減ってきました。
しかし特に若い人は、人間関係の苦しみが多くあります。

生きる目的はありそうだけど、達成できるだろうか、仏教を学んでも、もっともっと勉強していこうというという人もあります。

世界の哲学者に聞く、人生相談というのがあります。
死別についての相談が、最近もありました。

執着をなくせばいいといっても、無理な話です。
末期がんになった人はみな死にたくないといいます。
それが執着です。

臨終直前になっても、我が人生悔い無しと言えるのが、本当の生きる目的です。
そいういうものは考えられません。
色々な本に書かれている生きる意味は、全部その時その時生きる意味で、生きがいであり生き方です。
生きる目的ではありません。
そのような目標は、死んで行く時にはあてになりません。

世間で、人生の目的と言っているのは、みんな目標です。

これ一つ達成したらいつ死んでも悔い無しというのが本当の生きる目的です。

目標は、人それぞれ。
まずは志望校に合格、就職、結婚となります。

生きて何をするためなのか、この根本的な問題を知らないのです。
それに答えられたのが仏教です。
親鸞聖人の主著の『教行信証』の冒頭には、
難思の弘誓は、難度海を度する大船
本当の生きる意味はこれだと書かれています。

世間に人生の目的はこれだという本はありません。
教行信証』は一番最初に、目的を教えられている所が全く違います。


【緊急!】自殺前に知らねば後悔するたった1つのこと