仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

真の「働く」意味とは?

働くというのは、どういうことでしょうか?

どういうことが働く意味なのでしょうか?

働くというのは、何かを生産する人だけだと誤解している人があります。

もしそうだとすると、江戸時代の士農工商なら、武士は何も生産していないのではということになります。
殺したり壊したりするのが武士の働きです。

 現代なら、プロ野球の選手はどうでしょうか。
生産するというよりも、毎日野球をしているだけです。

プロ野球選手は人気が出ると、コマーシャルでも凄く儲かります。
力士は横綱までいったら、何億も手に入ります。

大坂なおみ選手なら優勝して4億です。

あれは働いていないかというと働いています。

スポーツもすばらしい楽しみですが、趣味生きがいの一時的な楽しみです。
変わらない幸せとなるとスポーツにはありません。

どんな物を作って、売っても、皆、幸せになっていません。

サピエンス全史』の続編の『ホモデウス』という本があります。
癌で亡くなる人が多いのは他の病気を克服していっているからです。

人類が戦い続けて来た飢餓と病気と戦争を現代人はかなり減らしました。
ところが未だに手に入らないのは、幸せであり、死の問題の解決だとホモデウスでは論じられています。

働くというのは、「はたらく」ですので、はたを楽にする、傍を楽にするといわれます。
他人を幸せにするのが働くということなら、できていません。
働いていない。

ところが、その望んでも手には入られない真の幸福が仏教に教えられています。

 

ブッダのお弟子は12000人と大無量寿経にはあります。

僧侶が1万人以上いたということです。
ブッダの教えは、そのお弟子たちを通して伝えられています。
乞食の行は、相手が布施をして幸せになるためにされています。

当時からブッダの批難する人もありました。
インドの
3分の1は尊敬し、
3分の1は批難し、
3分の1は知らなかったといいます。

仏教には永遠の幸せを教えられています。

真の幸福に導いているのが働くということだとすれば、
仏教を聞き、伝えるのが本当の働くということになります。

 


『歎異抄』に記された変わらない幸せの世界

 

きゅーブラー=ロスに学ぶ

キューブラー=ロスに学びたいと思います。

キューブラー=ロスという人は、スイスに生まれました。

1957年、医学部を卒業しています。

 

そして、死にゆく人をみとる仕事を続けて、『死ぬ瞬間』という本がベストセラーになります。

ホスピスの先駆けのような活動をした人です。

そして、1万人以上の死にゆく人に、愛に生きる、無条件の愛を教え、死の受容を説いてきました。

死は受け入れられると主張する生涯を送りました。

ところが、最後、脳卒中で寝たきり二なりました。

もういよいよ自分が死ぬときには、
ヒトラーだ」といっていた。
愛があれば受け入れられるはずなのに、とても死を受け入れることはできない。

自分の信念がひっくり返りました。
最後、「愛の話しはしたくない」と言っていました。

これは、キューブラー・ロスのこととおもったら、臨終に後悔します。
自分のことと聞かないといけません。
やってきことは時間とお金の無駄だったといっていました。
このことをブッダは真実の教といわれる『無量寿経』に説かれています。

自分の命が終わるときに、後悔とおそれが代わる代わる起きてくるということです。

 


死は受け入れられる?『死ぬ瞬間』のキューブラー=ロスの死のプロセス

きゅーブラーロスの最後のレッスン(NHKのインタビュー)

キューブラー=ロスに学びたいと思います。

キューブラー=ロスという人は、スイスに生まれました。

1957年、医学部を卒業しています。

 

そして、死にゆく人をみとる仕事を続けて、『死ぬ瞬間』という本がベストセラーになります。

ホスピスの先駆けのような活動をした人です。

そして、1万人以上の死にゆく人に、愛に生きる、無条件の愛を教え、死の受容を説いてきました。

死は受け入れられると主張する生涯を送りました。

ところが、最後、脳卒中で寝たきり二なりました。

もういよいよ自分が死ぬときには、
ヒトラーだ」といっていた。
愛があれば受け入れられるはずなのに、とても死を受け入れることはできない。

自分の信念がひっくり返りました。
最後、「愛の話しはしたくない」と言っていました。

これは、キューブラー・ロスのこととおもったら、臨終に後悔します。
自分のことと聞かないといけません。
やってきことは時間とお金の無駄だったといっていました。
このことをブッダは真実の教といわれる『無量寿経』に説かれています。

自分の命が終わるときに、後悔とおそれが代わる代わる起きてくるということです。

運命が作られる法則性

仏教の根幹は因果の道理です。

因果の道理について徹底して話すると、もの凄い時間かかるのですが、それがさとりの内容でもあり、一切経を貫いている教えです。

因果律は、物理、科学のような単純な話なら、わかりやすいのですが、
私たちの運命が、因果律に則ってとなると難しくなります。
運命が自業自得ということです。

一般には自業自得といいますが、別の言葉で言うと、因果応報といいます。
自分の行為が運命を生み出しますよ、ということです。


あなたの未来は決まっている?(運命の人)

それはそうです。
大学では頑張れば、単位とるし、さぼれば、単位おとすし、
会社でも成果を上げれば評価されるし、
ミスばかりだと解雇されます。

親切ばかりやっていたら、人から好かれるだろうけど、悪口ばかり言っていたら嫌われます。

大抵のことは、その通りだろ、と。
だけど、そうとは思えないことも沢山あるのが、人生。
通り魔に子供が殺されたとか。
こんな幼い子に、どんな罪がと思います。
それは通り魔が悪い。
自業自得ではないだろう。
だから、自業自得のこともあるけど、そうでないこともあるだろう。
それならば、道理とは言われません。

いつでもどこでも成り立つものが、道理です。
例外を認めません。


因果応報とは(恋愛)浮気した美女の末路

臨終に必ず出てくる心とは?

心の闇一つ説明するだけでも凄い時間かかります。
ある子供が、重い病気で死にそうになって、
「ボク死んだらどこ行くの?」と聞き始めました。
この子は14歳で、今まで、仏教聞いたことがありませんでした。
聞いたことなくても、死ぬときなったら、必ず出てきます。

これは、大学の医学部教科書にはスピリチュアルペインとして出ています。
死んだらどうなる?という疑問は、人間、臨終に必ず問題になるのです。


スピリチュアルペイン・臨終に起きる心の痛みとその理由

自分はまだまだ死なん、という心は、全人類の本心ですが。

死なないという前提だから、死が問題にならないし、
まして死んだらどうなるなど問題にならなりません。

大学の医学部資料には、余命3か月になった人の体験談が出ています。

死んだら無になることを証明することはできません。

科学的に言って死後はないでしょ、と言う人もいますが、
科学では、死後の世界は分かりません。
量子力学ではじゃっかん死後はありそうです。

死後の世界をつきとめた量子力学には、ありそうだということになります。

ないことを証明したものはありません。

いずれにせよ、あるともないともハッキリしていません。

大学合格、しているのか、していないのか、はっきりしないと不安になります。

人間みな、未来がハッキリしないと不安になるからです。

死の問題を解決して、心から明るい生き方にするのが仏教の目的です。


死ぬのが怖い人は本当の幸せに近い人・タナトフォビア克服法

南無阿弥陀仏とは

今回は、突っ込んだ深い話です。
昔、国木田独歩という文学者は、キリスト教の信者でしたが、臨終になって牧師を呼ぶと、ただに祈りなさいとしか言いません。
真心で祈ろうとしましたが、死の不安はまったく解消しませんでした。

なぜかというと、本当に神がいて、助けてくれると心から信じられなかったからです。
普段は信じているつもりでしたが、最後に本当に命がかかってくると、信じられなかったのです。

信じようとすればするほど疑いが出てきます。

ドイツであった話ですが、圧搾機に入りませんかといわれた人があります。
科学技術で頭をつぶされることはないと言われても、その機械に入って本当に大丈夫かと思います。
命がかかってくるほど、疑いが出てきます。

国木田独歩のように臨終になると本当だろうかと疑いが出てきます。
こんなので救われるはずないとなります。

そして、信じなくても助ける神はいないのかと言って死んでいきました。

私達が何かを信じて幸せになるときは、信じる心と信じる対象があります。

不実な心というのは、無常ということで、続かないということです。
続かない心で続かない物を信じていても幸せになれません。

普通に仏教を聞くと、阿弥陀如来を信じて、死んだら極楽に連れていって頂こうと思います。
しかし、不実な心では信じられません。

そこで阿弥陀如来の作られた南無阿弥陀仏は、南無と阿弥陀仏に分けられます。

南無というのは信じる心です。
阿弥陀仏は助ける力です。
信じる心は本来私たちが起こさなければならないのですが、私たちには信じる心はないと見抜かれた阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏の名号の中に、信じる心をおさめて完成されたのです。
信じる心がないものに、信じる心を与えて救うという救いが阿弥陀如来の本願です。

信じる心を与えて救うという救いということです。
信じる心を用意して、それを与えて救う。

南無阿弥陀仏は、称えたら救われるのではなく、南無阿弥陀仏を頂いたら称えずにおれなくなります。ですから救われたお礼の念仏です。

学生が親元へ戻ってくるとき、親からもらった仕送りでお土産を買ってきます。

親は自分のお金が買ってきているのですが、それでも両親は喜びます。
南無阿弥陀仏阿弥陀仏のお力で称えさせられているのですが、それでも阿弥陀如来は喜ばれるのです。

 


阿弥陀如来とは?多くの寺院で本尊とされているのには理由があった!

一切経に説かれていることのほとんどは……

仏教の根幹は因果の道理です。
根幹ですから、仏教の根っこであり、幹です。
因果応報ということが分からないと仏教分からないのです。


因果応報とは(恋愛)浮気した美女の末路


一切経は七千余巻、7000冊という膨大の数です。
その一切経をすべて貫いているのが因果の道理です。

 

この世のどんな結果にも必ず原因があります。
飛行機が墜落したら原因があります。
石につまずいて怪我をするのにも原因があります。


自己紹介を1日5人にした、70億人に自己紹介するのに370万年かかります。

誰かと会うのは、結果です。

結婚するのにも原因があります。
道理というのは三世十方を貫くものです。

原因を追及するのは、すべての学問の基礎です。
例えば空にオーロラがかかれば、どうしてできたんだろうと思います。
ナポレオンがヨーロッパを席巻すれば、なぜナポレオンはあの混乱期に現れたかと考えたくなります。
また、ピンクは認知症予防にきくといわれれば、どうしてなのか、原因を追及します。ところが、古今東西の人類にとって一番知りたいことは、自分の未来の運命です。

 なぜ一番知りたいのが運命なのかというと、人は幸せを求めているからです。

禍福は糾える縄の如し
守護霊がいるとか信じてしまう。

仏教では幸せの運命の原因を、
「善因善果 悪因悪果 自因自果」
と教えられています。
自因自果というのは自業自得ともいいます。


あなたはこれで幸せになれる!(自業自得の秘密)

あんなことは自因自果ですか?という人もあります。

どうして、私はこんな運命なのか、あの人はあんないいのか。
結婚は30億の中から1人を選びます。
どうやってそういう運命に決まるのでしょうか。

病人は、自覚がないと病院に行きません。
癌の生存率は上がってきているのは、早期発見ができるようになってきたからです。

普通の病気は、病気になったことが分かります。
それで、病院にいきます。

全人類は病気なのに自覚がないので、病院に行こうとも医者に行こうともしません。
医者について、集中的に説かれたのは一切経で3つだけです。
病人であることを教えられたお経がたくさんあります。