信心
神を信じて、現世利益を祈る。 何かを心の中に救いをもとめるという時には、信じる心、 どういう心で救いを求めようとするのか、ということと、また何に対して救いを求めるのかという対象の2つがある。 金比羅の神に安産祈願して、安全に子供が生まれるかど…
報恩講で信を獲れ、 御文章の4帖目第15通にあります。これを書き終わられて、蓮如上人は最期息を引き取られます。 報恩講にちなんで書かれている御文章を見てみますと、 4帖目の15通だけではなくて、 8通7通6通5通とあります。 蓮如上人が1年に1…
親鸞 聖人の教えを一言で言うと三重廃立の教え。教行信証は三重廃立の教え。教行信証は真宗の根本聖典、略してご本典、全六巻 親鸞聖人の教えは教行信証を読めば全部分かる、 読まないと全部は分からない。 聖人52歳の時に書き始められた、 90歳でお亡く…
一向宗と聞いたことがありますか?どうして一向宗といわれるのだろう?そのことについて蓮如上人が教えられています。 御文章1帖目15通「宗名・当流世間」 問うていわく、「当流を、みな、世間に流布して、一向宗となづけ候うは、いかようなる子細にて候うや…
同じく仰せに「まことに一人なりとも信をとるべきならば身を捨てよ、 其れはすたらぬ」と仰せられ候。(御一代記聞書115) 蓮如上人のお言葉です。まことに一人なりとも。 一人であっても、信をとるべきならば、身を捨てよ。 身を捨てよというのは、人生…
親鸞 聖人のお歌宝尋という明治の人の作です。 「稲田の草庵の仮住居」 稲田というところに住まれた 「板敷山の弁円は 如来大悲の恩をしり 御同朋とさとされて 今はかしづく語り草」 これは板敷山の弁円 、詩ですから順番通りに詠んでも面白くありません 「…
親鸞 聖人のお歌明治時代の宝尋という人の作。 「祖師聖人は 九歳にて」 松若丸、九歳、 「慈鎮和尚の門にいり」天台宗比叡山、慈円僧正、親鸞聖人の遠い親戚ということで、 今日のコネ、会社に親のコネで、大学に親のコネでいれてもらうとか親鸞聖人はそう…
一念帰命の信心をおこせばまことに宿善の開発に催されて、 仏智より他力の信心をあたえたまうが故に、 仏心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいうなり。 ( 御文章)一念帰命の信心。 一念というのはアッという間もない時間の極まり。…
おつとめは五正行の実践。それは三願転入から教えられていること。聴聞 が一番。 次が五正行。 次が六度万行。 いずれも三願転入の教えから。三願転入の道があって、 その道を進むことが宿善になる。 「聞其名号」の教え。 仏法は聴聞に極まる。 聴聞が一番…
「ふかきみ法にあいまつる 身の幸何にたとうべき ひたすら道をききひらき まことのみむねいただかん」 深い深いおしえ、深法にあうことができた。 人生の目的知らない人ばかりの中、生きる目的、生きる意味を知らされた。 ひたすらこの道を求めよう。 「永久…
にせの信心も、真実の信心も、見た目は同じように見える。 しかし、にせの信心には幾つか特徴がある。 以下の7つの1つでも該当すれば危険。 1儀式によって信心を貰う キリスト教の洗礼のようなもの 真実の信心は如来のひとりばたらき。 儀式などを人間が…
間断なく仏法を聞く、 この間断無き聴聞 こそ信楽開発の天地まで我々を進ませるのである。 信楽開発とは信心獲得のことです。信心決定とも言います。 何事によらず根気よく続けることは物事を成就するには最も大切である。 続ける、何か物事をつづける、免許…
なぜ阿弥陀如来 は一念の瞬間で救うという本願を建立されたか。 如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。 もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、 いかでか本願に乗ずべきや。 されば真宗の肝要、一念往生 をもって淵源とす。…