「願海につきて真あり仮あり」
阿弥陀如来の本願に真実と方便の願があるという
ことを断言なされた親鸞 聖人のお言葉です。
これはすぐ後の
「真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す」
と対応しています。
「真」とは真実、「仮」とは方便。
18願が真実の世界です。
そこへ導く為に19願20願の方便手段の願があるのです。
ですから真は目的、仮は手段です。
方便とは、私たちを真実に近づけ
真実を体得させるに絶対必要なものをいいます。
これが方便です。
ちなみに方便はサンスクリット語で「ウパーヤ」といいます。
「近づける」という意味です。
真実は「サッターヤ」ですね。
高いビルディングを建てる。
最初から建てるわけにもいかないので、まずは足場をつくる。
そして機材を運んでビルを建てる。
ビルが完成したならば、足場は崩す。
足場というのは、しばらくの間は用いるんだけども、
ビルが完成したならば取り壊す「暫用撤廃」という言葉もあります。
最後壊すのなら最初からいらんだろう、と思いますが、
建てる時にはどうしても必要。
これが方便なのです。
方便とは、真実の世界に送り込む為に必要なものですので、とても大切なものです。
真実と方便を比べたら、方便のほうが劣るように思う人あると思います。
しかし真実が大切ならば方便も同じくらい大切。
方便が大したことないと思っているのはそれだけ真実が分かってないんです。