仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

仏法者の聖なる使命とは?

「聖使命」の「聖」はきよらか。
「使命」は命を使ってでもなさねばならないこと。
それは我が身の後生の一大事の解決であり、
その道を一人でも多くの人に伝えること。

それを覚如上人は教えて下さっている。

明らかに無漏の慧灯を掲げて遠く濁世の迷闇を晴らし、
遍く甘露の法雨を注ぎてはるかに枯渇の凡惑を潤さんがためなり。
(御伝鈔)

これが仏法者の聖使命であると教えて下さいます。
これは覚如上人のお言葉で大変な名文です。

意味。
私たちは明らかに無漏の慧灯を掲げるとある。
無漏とは有漏に対して。

仏智のことを言います。
有漏は煩悩
その煩悩が無くなったのを無漏という。
仏の智慧を無漏と言います。
智慧の灯火とあるのは、慧灯です。
ですから無漏の慧灯で、阿弥陀如来の救いです。

他力の信心を明らかにあなたに伝えて。
我々がお伝えするのは阿弥陀如来 の救い。
他力の信心を明らかに伝えて。
遠く濁世の迷闇を晴らし。
遠くとは今から未来永劫。

これから。
遠く。
今から未来永劫に。
濁世の迷闇を晴らし。
濁世とはこの娑婆世界。
五濁悪世。
この世の中みな苦しみ悩んでいる。
そういう迷える人の闇を晴らす。
皆無明の闇を抱えて迷っている。

苦しみ悩んでいる濁世の人の迷いを晴らす。
救うと言うことですね。
これを阿弥陀如来の本願によるしかできませんから。
弥陀の本願を明らかにお伝えし、苦悩の根元を破る。

遍く甘露の法雨を注ぎて。
分け隔てなく一切の人々に後生の一大事がありますから。
全ての人々にお伝えしなければならない。
甘露の法雨を我々は注いでいく。

法雨は仏法を雨に喩えている。
雨というものは全てのものを育成する。
その雨と言っても、酸性雨じゃありません。
酸性雨ではなくて、甘いつゆ。
栄養満点の甘い露。
お釈迦さまの教えを言います。
甘露と言います。

八万四千の法門。
仏教です。
だから、八万四千の法門、全部法雨です。
法の雨。
我々を生かす法。
それを釈尊は雨の如く説いていかれた。

我々は甘露を注いでいく。
はるかに枯渇の凡惑を。
これは遍くもはるかにも
同じ事です。
はるかにとはすべて。
十方衆生一人残らず差別なく。

法雨とありますから、枯渇の凡惑を潤すと言われている。
乾いた凡惑、煩悩具足の私たち。
そういう私たちを潤す。
甘露の法雨を注いで苦しみ悩んでいる我々を潤して下さるのが仏法ですから。

明らかにしなければならないのは弥陀の本願。
人生の目的は弥陀の本願によらねば苦悩の根元は絶対に晴らすことはできませんから。
無明長夜の灯炬を掲げていく。

濁世の迷闇を晴らす。
あまねく、十方衆生一人残らず甘露の法雨を注ぐ。
すべての人々を救う。
乾いた。
法に飢えていますから。
これが私たち仏法者の聖使命。