私に起きた結果は私の行いが生み出したものだということです。
自分にいろいろな結果が、今年起きたと思います。
それはすべて自分に原因があります。
このような結果を果報といいます。
自分の行いに報われた結果ということです。
では、行いとはどんなものかというと、3つあります。
心と口と身体の行いです。
これを「三業」といいます。
この3つは、世間とは大きく違うところがあります。
それというのも、世間では体の行いが最も重視されます。
次に口で何を言ったかです。
犯罪でも、殺人や泥棒などの身体の行いがメインですが、恐喝とか侮辱とか、口で言う行いもあります。
法律では言ったことまではとりしまれないですが、倫理や人間関係の上では法律よりも細かく、どういうように言ったかが、問題になります。
ところが、法律でも、倫理や道徳、人間関係でも、心で思ったことは、無法地帯です。
思うくらいいでないかと思っています。
しかし、心で思ったことが口や体に現れるから心が最も重要です。
人間関係を教えている嫌われる勇気(アドラー心理学)でも、「勇気」というのは、心です。
心が命じたから、口がしゃべったり、身体が動いたりします。
口で喋っているのは口だけ勝手に動き出すということはありません。
たとえるならば火の元と火の粉の関係にあります。
心が火の元で、口や身体が火の粉です。
火の粉をなくしたければ、火の元を消さなければ火の粉はなくなりません。
口や身体をとりしまっても、心の中で思っていたらやってしまいます。
心の中のことでも、それを表現すると、相手の心は傷つきます。
不倫でも、悪口でも、そんなことを思っていたのかと驚いて、ショックを受けます。
ですから、仏教でも、心の行いを最も重要視するのです。
そして、その心の行いが、自分の運命を生みだして行くのです。