仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

自分を変えると環境も運命もみな変わる

 これまで物足りないとか虚無感とか、虚しいという心を
かかえている人が結構多いってことが分かったと思うけど、
じゃあその原因が自分にあるのか、
自分以外の外に有るのかっていうことを考えるのに、
興味深い話が、子供の頃読んだ、西洋の寓話の中にあったのを思いだすんだよねえ。

あるフクロウさんがね、
さもつまらなさそうに浮かない顔をして
長年住みなれた森をぬけだして
どこか遠いところへいきたい、っていうんだ。

それを心配した鳩さんが、
「どうして」って聞くと
「僕はもう、誰も僕のことを知らない、どこか遠くの森へ飛んで行きたいんだよ」
「一体どうしたんだ」と重ねて聞くと、
「どうも僕のこの、声が悪いらしいんだよ。
 僕の声を聞いて、みんな嫌がっているみたいなんだ」

「口でハッキリ言うわけじゃないけど、みんな僕のこと嫌いみたいなんだ、
いたたまれないっていうか、居場所がないっていうか。
そんなこと考えてるのもまっぴらだし。
だから、もうだれーもいない、どこか遠くへ飛んでいきたいんだね」

「そっかあ、でもフクロウさん、
それはもしかしたら、無駄なことになるかもしれないよ、
どこにいってもその声を変えないと、何も変らないんじゃないかなあ、
だから場所を変える努力をするよりは、
声をかえる精進をしたほうがいいんじゃないかな」

考えてみればこのフクロウさんの様に
「ぼくってみんなにあんまり好かれてないんじゃないかなあ」とか、
「私にこの場所は合わない」とか言って、
遠くへいきたいと思っている人が、
多いんじゃないかなあ。

でも環境を変えても、自分を変えなければ、運命は変わらないよね。

自分を変えれば、環境も変わるし、運命も変わる。
これぞ仏教に教えられる因果応報だよ。

 

グルメと幸せの関係。お金や財産よりも大切なものは?

料理といえばグルメ、飽食の時代といわれ、食事に時間やお金使う人多い。
まんが。包丁人味平

生鮮食品の店でも高いのから売れていく。

エンゲル係数
家計簿する時、総支出に占める食費の割合、高いと貧乏、
一般に先進諸国は低い、発展途上国は高いといわれている。

手から口への生活という英語もある。
Live hand to mouth
とにかく食べるここに力がかかる、
これは貧しい人といえるかもしれない。

高度に文明の発達した世の中では食品の係数は少なくて
文化教養教育にお金時間かける。
日本はどういうわけか、飽食の時代で、グルメに関心高い。
多いでしょ。料理番組。話題を読んだ番組に料理の達人っていうのがある。

金曜日。私の記憶が確かなら金曜日の10時くらい。
この料理の鉄人っていう番組は和洋中にそれぞれ鉄人が出てくる。
道場六三郎、鉄人さかい、陳という人が出てきて挑戦者もなかなかの料理人。
そして毎回テーマが決まっている。
そして、「今日のテーマはアンコウ」といってその食材が出てくる。
そして決まった時間キッチンスタジアムで決められた食材使って競うというわけ。
同じ食材で腕を競うということだから、
いかにその食材の味を引き出せるかという腕を競っている。

年の暮れ特別番組やった。
対戦者は小学生。
食材を選ぶのに小学生は、どの料理屋さんに行って食材買ってもいい。
鉄人はコンビニで買えるものでなければ駄目。
年末のコンビにでしょ、野菜売り切れ。
ロースハムとか、缶詰のコンビーフとか、そういうものしか買うことができない、
そうしてぼろぼろの食材と、
フォアグラとかキャビアとか新鮮な食材を使ってもいいという小学生と対決したけど、やっぱり鉄人勝った。

これはどんなに粗末な食材でも料理人の腕がよければ、
いろんなよい食材を持ってる人にも勝てるということで印象的な番組でありました。

翻って、私達の人生に置き換えてみると、
私達も、とにかく、面白そうなもの、とにかくおいしそうなもの、
そういうものに手を出すよね。例えば、
「♪社会人になったら社会人になったら恋人100人作ろうかな」という、
恋人、「♪恋人よそばにいて」という歌もありましたが。

そのためにはお金があったら楽しそう、
インターネットやったら楽しそう。
携帯持って変態になったら楽しそう面白そう楽しそう。
ドライブにいったら楽しそう面白そう。
自分の好きな、モーニング娘のCDを買って鏡の前で踊ったら面白そう楽しそう。
流行のぱらぱら躍ってみんなの前で踊って笑いを取ったらおもしろそう楽しそう。

てな具合にあれがあったら楽しそうとかき集めてくるのはいわば食材を集めて
いるようなもの。
これらはいずれも、食材っていうか、幸せになる材料だよね。
幸せ材。
世の中にはそこそこ海外旅行行ってるのに、金持ってるのに、
恋人もっているにもかかわらず
「毎日があー楽しいとか、本当にうれしいとかあー幸せ」
って言っている人はどっちかいうと少なくて、
「あーうんざり、何か足りない、どうもいまいち、刺激がないっていうか、
そこそこいろいろなもの持ってるのにものたりない」
とか言っている人が多い。

これは食材をもっていても料理の腕前が悪いから
おいしい料理味わえないのと一緒。
世の中の人は、幸せになる材料かき集めるのに一生懸命。
でもちょっと待って。
そのまえに大事なのはこれらの食材を使ってあーおいしいと味わえるような
魂の料理人の腕前を身に付けるこれのほうがはるかに大事じゃないかな。

たとええそんなに食材がなくってもその食材のおいしさを引き出しておいしい
料理が作れるように、魂の料理人になれば
そんなにこういうもの持っていなくても、
持っていれば、もっといいですが、暗かった虚しい人生が思いっきり明るく、
つまらなかった人生が思いっきり楽しく、
そういう人生にがらっと変るんだね。

さっきでいえば、幸せになるにはどうするかという知恵を身につける。
知識を生かして、幸せになる。
知恵をつけて幸せになることが料理人の腕を磨く食材を活かしきる腕を
身につけるということなんだね。

そこで仏教では、こういう食材を生かしきって、
あー幸せといえるような腕を身につけよう、
そうなるための智慧をつけよう。
みんなの持っている知識を生かしきろう、
そういう智慧を身につけようという教えなのです。

 

たくさんのことを知りながら大事なことを知らない人

考えてみると、なんでもかんでも
多くのことを知っていればいいということで
はないですね。

 例えば、「これはちょっと下品かもしれませんが、
「私は野村幸代の3サイズ知ってます」
これは知らなくていいです。
不幸になるから。

だけどインターネットでたくさんの情報をゲットしていますといって、
夜更かしして危ないサイトにはまって寝坊はする掃除はしない、
家の中はごちゃごちゃ、そんなことではよくありません。

そんなもの知らんほうがいい。
やらんほうがいい、ということは、一杯あります。

一般にインターネットの情報は全く責任がないから
がせネタが多い。

情報化社会の私達には心得なければならないことです。
自由に発言できるから、自由でいい反面、クオリティが低かったり、
めちゃくちゃ言っていたりするんですね。

結局成績がいいとか、偏差値が高いとか、
一流大学出ましたとかこういっておりながら、
周りの人から嫌われたり汚職事件や、自殺する人、
全く幸福感得られない人。

こういうひとはいろんなこと知っていたけど、
一番大切なことを知らなかった愚か者といえるのではないでしょうか。
一番大切なことというのはすれば幸せになれるのか知っている、
これが一番大事なことですね。

それはどこに教えられているかというと、仏教です。

春になると出てくるサークル

大学は春になるとさあ、色々なサークルがあります。

おしゃれな姿で、かっこよさそうに、奇麗そうに、
人の良さそうに、みんな装って、
テニスはいかが、
スキーはいかが、
あんパンにチョコレートはいかが、
サイクリングはいかが、ってな感じで、
すごく華々しく、こんなのどう、あんなのどう、って、
勧誘が毎年キャンパスを彩るんだよね。

だけど暫くつきあってみると、これ全然、看板に偽りあり、
というのもあったわけ。

4月や5月の時だけ活動しててね、五月病になって、
スチューデントアパシーにもなったり)
6月7月8月くらいになると、ほとんど何もやってない、
こういうサークルもあるんだよ。
そして4月になるとどっから来たんだよと思うほど集まってきたり。

そして、あっという間に4年間が過ぎて行く。

大学時代に何も残らなかったという人がある。
どうしたら充実した時間になるのか、大学に入ってから出るまでに、何をすれば満足できるのか。
それを先に見つけないと虚無感に満ちた、虚しい大学生活になります。

それと同じように、人生でも、生まれてから死ぬまでに何をすれば満足できるのか、本当の生きる目的を知らないと、虚しい人生になります。

まずは本当の生きる意味を知らなければなりません。

 

 

親鸞聖人の非僧非俗の一大宣言

親鸞聖人は、非僧非俗といわれています。

つまり、僧侶じないと言われる一方、
「俗じゃない」ともいわれています。

それは、国家権力の認める僧侶でもなければ、世間の仕事につく俗人でもない、
本当の僧である、ということです。

本当の僧といいますのは、
聖徳太子が17条憲法の中で
『篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり』
といわれた僧宝という僧にあたります。

三宝とはこの世に三つの宝がある、
仏宝
法宝
僧宝
です。

仏宝は仏様、
法宝は仏さまの教え、
そしてその仏の教えを正確にそのままで伝える僧が僧宝です。

そういう意味での僧でありまして、
この僧こそが本当の僧、本当の僧とは本当の仏法者これ即ち、
一切の権力に、媚びを売らず、どんな非難や迫害にも屈せず、
保身にキュウキュウせず、
ただ、ひたすら真実の仏法を明らかにする、
僧であるという親鸞 聖人の声、
高らかなる誇りに満ちた一大宣言なのです。

この親鸞は、そんな仏とも法とも分かっとらん、
カケラもわかっちゃいない、
身の保全しか考えてない天皇に認定や剥奪されるような僧じゃないぞ、
そんな権力者に媚を打ったり、ご機嫌とったりするような僧じゃなく、
一切の身の保全にキュウキュウせず、
唯真実の仏教を明らかにするぞと宣言されたお言葉です。

よって我ら親鸞学徒も、この聖人の御跡をしたって、
権力者のご機嫌をとったり、
媚を売ったりもせず、
身の保身にきゅうきゅうとせず、
唯ひたすら真実の仏法を明らかにする僧とならせて頂きましょう。

仏教を大切な人へ伝える時の配慮

今、私は仏教を通して、生きる意味は何か、ということを学んでいます。

これ聞きに仏教講座へ来てもらえれば、
話を聞いてもらえれば、ハッキリするんだけど、
なかなかそういう機会もないんだよね。

一方、生きる意味とか、そういう言葉を使っただけで、
仏教と聞いただけで、それはヘンな新興宗教じゃないのか、
ということを心配される方、
またお友達の中には、ヘンなのに決まってるよ、
と言って、悪口を言う方。

お母さんやお父さんの中には、やめなさいやめなさいといって、ののしる方。
アマゾンを作ったベゾスに対しても、周りの人達が、
「おまえどういう性格してんじゃいー」
って罵詈雑言を浴びせた人があったみたいに、
中には、ヘンな宗教 じゃないのか、
って悪口を言う人もあるかも知れない。

だけどね、人生に置いてより大切なことを遂行するために、
一時的に、相手に言わない、
忍耐することも大切だと言うことを、知っておかねばならない。

ですから、まず自分が、仏教とはいかなる教えなのか、
仏教の中にに説かれている無碍の一道とは、
私が生まれ変わるとはどういうことなのか、
自分が目で見て聞いて確かめてから、
お父さんやお母さんに分かってもらえるような努力する。
それまでは、こんな話を聞いたあんな話を聞いた、って、
どれこれかまわず言わない方が良い。

言いたいことを言わずにガマンすることが大事なこともある、
っていうことを知っておかなきゃいけないって事なんだね。

そして、最後には必ず本当の幸せを伝えましょう。

 

 

フクロウの寓話

前回の記事で、
最近の若者では、苦しいというよりも、
物足りないとかつまらないとか、虚しいという心を
かかえている人が結構多いってことが分かったと思います。


じゃあその原因が自分にあるのか、
自分以外の外にあるのかっていうことを考えるのに、
興味深い話が、子供の頃読んだ、
西洋の寓話の中にあったのを思いだすんだよねえ。

昔ある森にね、フクロウと鳩さんがいたんだって。

ある時フクロウが浮かない顔をして、
長年住み慣れた森を出て行こうとしていたんだね。

鳩さんがどうしたんだと尋ねると
「いやあどこか遠いところへ行きたいんだ」

理由を聞いたら
「いやあ、みんあ僕のこと嫌っているみたいなんだね
 だからだれも僕の事を知らない、どこか遠くへ行きたいんだ」
これを聞いた鳩さんが、
「いやあどこに行っても変らないと思うよ、
 その声を変えなければ、どこにいても辛いことはかわらない

 だから、場所を買える努力をするより自分を変える努力を

これは、周りの環境を変える努力をするよりは、
自分を変える努力をすればいい。

自分が変わったら、環境も変わる。
考えてみると僕達の周りにもあー疲れた、
とかいって環境が変わっても、
ウザイってひとが多い。

本当に頑張るべきなのは、自分が変わることなんですね。