仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

若者は人生を苦しいと感じていない

今の若者は、苦しいというよりも、
疲れてる」というほうが早く理解できます。

この疲れているというのは、ほとんどの若者をカバーします。
つまり波長が合います。
これを私は「固有振動数
と呼ぶことができます。

波長を合わせると共振します。
要するに「生きることに疲れてる」というのが、
相手の波長にあいます。

「幸福」とか「苦しみ」とかいう言葉は合いません。

ところがウンザリするとか、
つまんないとか、
生きてることに疲れる。
こう言うと合ってきます、
あるいは、孤独感、不安、自己嫌悪、自信喪失です。

そんな時に苦しいとか悲しいとか物足りないとかを感じます。
だから、自分なんて居場所がなかったとか、
こうなると相手の周波数に合います。

どうだー人生苦しいだろ、ツマンナイだろ。
それなりには充実してるハズなのに、どこか物足りない、虚しい
大学生は、親の金で学費を出してもらって大学までいってます。

世間一般で見れば幸せな筈なのに、授業は苦しくて拷問に等しいのです。

授業中寝てた奴が「あー疲れた」とか言ってるし、
みんななんか浮かない顔して授業受けています。
これみんな苦しんでいる姿です。

まず、苦しんでいることを理解しないと、
その苦しみを解決しようと思いませんから、
ブッダは、四苦八苦を教えられて、
すべての人は苦しんでいるという真理を教えられています。

そしてすべての人が苦しみを解決して
本当の幸せになる道を教えられたのが仏教です。

 

仏教の話は自分への説法

人に仏教の話をするときには、

まず自分が笑顔をします。

いい表情、こぼれるような笑顔、元気よく話をすることになります。

声も出します。

そして、因果応報ですから、悪いことをしないように、善いことをするようにしましょうといいます。

怨み呪いの人生を送っていると、引き寄せの法則で実現してしまうから、いいことを思いましょうと言います。

具体的には、食べると全く片づけないでいると、2日3日とたまっていき、
一週間たつと大変なことになりますよ。

洗濯物を今度やればいいやと、
洗濯せずに放っておく人は、
足の踏み場がない状態になっていきますよ。
毎日洗濯しましょう。

こういうのは、仏教が初めての人への説法と言いつつ、自分への説法になります。

言うに易く行うは難しということでついついおろそかになることですが、
自分が人に勧める以上、自分がやらないとおかしいので、やるようになります。

仏教の話といっても、日常生活で、自分にも相手にも関係ないものは
あまりよくありません。

人の心を打つ説法とは自分の心を打つ説法です。

 

仏教の話は自分への説法

人に仏教の話をするときには、

まず自分が笑顔をします。

いい表情、こぼれるような笑顔、元気よく話をすることになります。

声も出します。

そして、因果応報ですから、悪いことをしないように、善いことをするようにしましょうといいます。

怨み呪いの人生を送っていると、引き寄せの法則で実現してしまうから、いいことを思いましょうと言います。

具体的には、食べると全く片づけないでいると、2日3日と給っていき、
一週間たつと大変なことになりますよ。

洗濯物を今度やればいいやと、
洗濯せずに放っておく人は、
足の踏み場がない状態になっていきますよ。
毎日洗濯しましょう。

こういうのは、仏教が初めての人への説法と言いつつ、自分への説法になります。

言うに易く行うは難しということでついついおろそかになることですが、
自分が人に勧める以上、自分がやらないとおかしいので、やるようになります。

仏教の話といっても、日常生活で、自分にも相手にも関係ないものは
あまりよくありません。

人の心を打つ説法とは自分の心を打つ説法です。

 

人生が無駄どころか有害になるのはどんなとき?

『七つの習慣』というビジネス書のベストセラー本の中には、
こんな譬えがあります。

あるビルがあって、そのビルに登っていくときに、
はしごを掛けて登っていくとき、
ちゃんと目的のビルにかければ、登り着いた満足もありましょう。

ところが、間違ったビルに掛けてしまうと、
登ってゆく苦労も時間もみんな無駄になってしまいます。
目的を間違ったら、その努力はみんな無駄に終わってしまうのだ。

虚無感におちいります。

私たちの人生も同じです。
私たちの人生の目的は何なのか。
何のために生まれて来たのか。

存在意義(レゾンデートル)は何なのか。

その目的が分からないと、
生きて行く苦労も時間もみんな無駄になってしまいます。
ましてや目的が間違っていたら、
無駄どころか有害になってしまいます。

何のために生まれて来たのか、何のために生きるのかという
本当の生きる目的をハッキリさせてこそ、生きる意味があるのです。

 

仏教を人に伝えるときの前提

仏教を聞いて1年もたてば、簡単な5分間くらいの仏教の話ができるといいですね。
2年も経てば、1時間くらい話せるように。
3年も経てば、講座ができるようになるといいです。

 

そして相手に宗教偏見があって仏教の言葉が出せない時の法施は、
まず相手がわかるのが大前提です。
相手が実感が湧くと、自分の問題となります。
自分の問題にならなければ、知識欲を満たすだけで終わります。

例えばなぜ生きるかどう生きるかより大切と言われても分からない。

なぜ大学に行ったのか、なぜ就職するのか、
働く意味は何か。

どうしてそのお金を稼いで生きていくのか。
必ず死んでいくのになんのために生きるのか
君たちはどう生きるか』じゃ普通分からない。

それを言うなら、どうしたら受験勉強ができるのか、
どうやったら就職、お金、人気が取れるか、いい人と結婚 できるか。
より楽しく生きていけるかということだから、
それがどう生きるかということです。

相手が自分の問題となる言葉で、短さとか身近な話題、
仏教が初めての人の立場で目線で話すとか、
確かに自分にも経験があるとか、言われてみればそのとおり、とか。

こういうような、言われてみればそのとおりですね、とか、
似たような経験ありますとか思われるようなことを例にあげるといいです。

このような仏教の内容を分かるようにみんなから語ってもらうといいです。

 

仏教を聞くと五月病が治る

仏教には何が教えられているのか。

はじめての人に説明するときには、
始めての人が聞いて魅力的で、
それでいて仏教から離れていないいい点を
十ぐらい言えるていいでしょう。

例えば、
・視野が広がる
・教養は身につく
・人生に対する洞察が深まる
・人間の幅が広がる
・為になる
・役に立つ
・得をする。
などです。

他にも、
生きる意味がわかる
五月病が治る
スチューデントアパシーとおさらば
虚無感も解消
モラトリアムも不要
・臨終に後悔しない

等、色々あります。

 

話をするのが苦手な人が仏教を伝える方法

話をすのが苦手だから仏教も仏教に教えられた本当の生きる意味も伝えられないという人があります。

しかし、話す以外にも色々な方法があります。

なかなか他人に声をかけられない人でも、
その人が声をかけられる人と一緒にいけばいいのです。

笛吹くとぷーと伸びるやつをもって、
近くでぷーと吹くとか、
笛を吹く係もできます。


話を隣で聞いているのもすごい力です。
これを「存在と時間」みたいなものです。

ある一定の時間、そこに存在していると、
存在そのものが仏教を伝えることになります。

私が誰かに話をしているとします。

それをあなたが一緒に聞いています。
たまにうーんと、頷きます。

これによって、説得力はぐっと上がるわけです。

そこでもしあなたがトイレとかでその場を離れたり、
「僕なんかセリフがないから」、
と帰っちゃうとします。

こうなると相手が仏教を納得する速度はがくっと落ちちゃうんですね。
一定の時間そばにいることは、大変大きいことです。

または話をしている人に飲み物や飴を渡す係とか、
タオルを投げる係とか。
ところが、僕なんかいても何も言えないからと、いなくても別に変わらないからと、参加しないと何もなりません。

この人がいるのがどれだけ力強いことか知れないのです。
大変大きな存在意義働く意味もあるのです。

そして生きる意味を知るご縁になります。