話をすのが苦手だから仏教も仏教に教えられた本当の生きる意味も伝えられないという人があります。
しかし、話す以外にも色々な方法があります。
なかなか他人に声をかけられない人でも、
その人が声をかけられる人と一緒にいけばいいのです。
笛吹くとぷーと伸びるやつをもって、
近くでぷーと吹くとか、
笛を吹く係もできます。
話を隣で聞いているのもすごい力です。
これを「存在と時間」みたいなものです。
ある一定の時間、そこに存在していると、
存在そのものが仏教を伝えることになります。
私が誰かに話をしているとします。
それをあなたが一緒に聞いています。
たまにうーんと、頷きます。
これによって、説得力はぐっと上がるわけです。
そこでもしあなたがトイレとかでその場を離れたり、
「僕なんかセリフがないから」、
と帰っちゃうとします。
こうなると相手が仏教を納得する速度はがくっと落ちちゃうんですね。
一定の時間そばにいることは、大変大きいことです。
または話をしている人に飲み物や飴を渡す係とか、
タオルを投げる係とか。
ところが、僕なんかいても何も言えないからと、いなくても別に変わらないからと、参加しないと何もなりません。
この人がいるのがどれだけ力強いことか知れないのです。
大変大きな存在意義も働く意味もあるのです。
そして生きる意味を知るご縁になります。