「笑う者も続けて転ぶ雪の道」という歌がある。
冬の寒い雪の道で、つるんつるんに凍っている道を歩くときには、
もうちょっと注意して、歩かないといけない。
なのに、ある場所に行くとすてんと転んでいる。
なんというざまだと笑っている。
笑っている者もまた転んでいる。
この中で転ぶとか、笑うとか、仏教の教えの中では何を教えている?
転ぶとは何か。何の前触れもなしに、後生へと突っ込むこと。
人間とは、生れ落ちる瞬間から、死への行進をしている。
100%確実な未来。突如としてやってくる暴力。
仏法を聞き求めている人なら、話もしている、耳にも聞いている。
そう言っている人が、転ぶ。
そのうちに後生へと突っ込む。
笑っているというのは、人が後生へと突っ込んでいるのを見て笑う不謹慎な
人はいない。
自分のことと思っていないということ。
私達があの人って馬鹿ね、ひどい人ねと、誰かを笑う、批判をする、
まぬけぶりを笑うというのは、
大抵自分は出来ている、私はあんなことはしませんと思うから笑っている。
自分は立派だという前提から笑っている。
現実は似たような人が笑っている。
あんたは不注意だから転ぶんだぞ。
結局笑っていた人も、自分が後生に突っ込んで行く。
なかなかそう思っていない。
続けて後生へ突っ込んで行く。