因果の道理は三世を貫く。
三世とは、過去世、現在世、未来世。
昨日は過去。
昨日を過去とした場合、現在は今日。
未来は明日。
昨日、今日、明日、これも三世。
ちょうど夜の十二時で昨日から今日になった。
今日の夜の十二時に、明日になる。
去年は過去。現在世は今年。未来世は来年。これも三世。
この場合、一月一日になる瞬間、ポーンと言う時報をうったときに、去年から今年。
今年から来年。
もっと伸ばせば、生まれてくる前、前世が過去世。
今生きている一生、現世が現在世。
未来世は、死んだ後、来世。
時間の幅がぐっと広がった。
今度は縮める。
過去世を前の一時間とすると、現在世は今の一時間。
未来世は次の一時間。
過去世を前の一分、現在世が今の一分、未来世が次の一分。
過去世を前の一秒、現在世を今の一秒、未来世を次の一秒。
つきつめれば、三世は今の一念におさまる。
現在というのは、過去と未来の接点。
いま、と言っても、「い」と言ったときには「ま」は未来。
「ま」と言ったときは、「い」は過去。
どれだけ早く言っても言えない。
三世は一念におさまる。
それで、三世というのは、ずっと伸ばせば、生まれてくる前、現世、死ん後。
ぎゅっと縮めれば、一念におさまる。
だから仏教は今が大事。
一念の中に三世がおさまるのだから。
今の自分が分かれば、過去も未来も分かる。