仏教研究室

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親鸞聖人のお歌

親鸞聖人のお歌
明治時代の宝尋という人の作。


祖師聖人は 九歳にて

松若丸、九歳、

慈鎮和尚の門にいり
天台宗比叡山慈円僧正、親鸞聖人の遠い親戚ということで、

今日のコネ、会社に親のコネで、大学に親のコネでいれてもらうとか
親鸞聖人はそういう遠い縁で天台宗の僧侶になられた。

出家得度 ましまして

家を出る、家は煩悩をあらわす、家出とは違う。

実際は絶てない。

得度とは在家の人が僧侶になる儀式、

親鸞聖人は頭丸められた

比叡の山の 二十年

九歳から二十九歳、二十年間天台法華の修行に打ち込まれた。

一口に二十年といっても生まれてから今までなので大変長い、

後生の一大事の解決一つ目指され修行された

「大曼行の 難行は 事なく成され 給いしも 

 吾等凡夫の さとりには叶わぬものと」

最も厳しい比叡山で一番難しい修行をされた今日の千日回峯行、

最初は四十キロ以上、朝二時くらいにおきて所定の場所で修行、

一年で百日くらいなのが最後では二百日、最後は八十四キロ、命がけ、

短刀を持参して断念するときは自害しなければならないという掟がある。

それより大曼の行はもっと厳しい修行であったといわれます。

 

事なくなされるというのはいとも簡単にという意味でない、

完全に成し遂げられたということ。

ところが吾等凡夫の証にはかなわぬ、

後生の一大事の解決を親鸞聖人できなかった、

まして我々に大曼の行ができるはずがない。

一日回峯行でも大変だったという人を聞いている。

→昔の京大の人次の日豆だらけで学校休む

とても我々にできることでない。

→正座もできない、風引くとお休み、聞く気なくなる。

とてもできるはずがない。

たとえ成し遂げても後生の一大事の解決にはほど遠い

そこで

「百日の六角堂の 観音へ 深夜の祈願 遂げたまい 

 四句の御告と 吉水の法然房を 示さるる」

 

アニメ第1部で山を親鸞聖人下りられて

六角堂に籠もられる事を言われている。

百日間飲まず食わず後生の一大事の解決求められた。
嘆徳文 

定水を凝らすと雖も識浪しきりに動き


命がけで二十年間大曼の行された比叡山すてて

百日後生の一大事の解決一つ願われて籠もられた。

後生の一大事の助かる道一つ願われれた。

 

親鸞聖人は良く夢を見られた、私達の夢は、豚にへそなめられる、

大学落ちる、くだらない夢、

しかし親鸞聖人は後生の一大事解決めざし真剣に求められて、

そういう方はそのような貴い夢を見ると言われる。

その中で親鸞聖人
よく信ぜよ、よく信ぜよと言われたのは

「磯長の夢告」
他にも、
「大乗院の夢告」
「求世観音の夢告」

法然房を示されたのは、二十六歳。

四句の貢げというのはこの三つ

 

よく信ぜよ、と告げられたのはし長の夢告です。

四句のみつげは三つと理解すればいい。

「力を尽くし 御房は 本願他力を 説きたまう」

「聖人たちまち 直入の 真心決定 ましませり」

「三十一の  御歳に」

真の菩薩、法然上人を示され、

聖覚法印の導きで法然上人にあわれて上人は

阿弥陀仏の本願を親鸞聖人に説かれる、

親鸞聖人は一念で、直入も一念のこと、

真実信心を決定ましませり

こういうところが法尋と言う人は凄い、要が書かれている。

今日信心決定というひとはいない、

龍谷大学でも聞いたことがないところが

法尋は信心決定とハッキリ親鸞聖人が信心決定されたことを書いている。
御伝鈔 七百三十七 吉水入室 第2段

「建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて

源空聖人の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。

真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめて

これを述べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、

飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」

宗の淵源をつくし、体験
教の理知、教学

法然上人の体験と教学を述べられる、たちどころに、一念で、

他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましけり。

これをそのまま書かれたのか、要をしっかり書かれている。