二河白道のたとえで、
旅人が二河の間の白道を進んでいくと、
やがて三定死になる。
自ら思念すらく「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、
去かばまた死せん、一種として死を免れず」。
もうこれ以上進めない。帰ろうと思う。
しかし、帰ろうとしても、波が絶えずやってきて、道が見えない。
落ちてしまう。
とどまっていても、死んでしまう。
行くのも無理。
一種として死を免れることができない。
これが三定死。
信心決定する前。
何も手につかない状態。心がキリキリ舞いする。
まねしてもだめ。
この三定死は、地震のようにやってくる。
台風ではない。
台風だと予測がつく。
地震は予測がつかない。いつやってくるかわからない。
王舎城の悲劇のイダイケが、のたうちまわっている場面。
除苦悩法を説かれる前。