死んでゆくときはみな丸裸で一人旅立たなければならないと蓮如上人は教えられている。
死んでいくときはみんな丸裸。
手ぬぐい一本持っていけない。
生木引き裂かれる思いで泣き泣き死んでいかねばならない。
後ろ髪引かれる思いで死んでいかねばならない。
それを蓮如上人がこうおっしゃっている。
「まことに死せんときは予てたのみおきつる妻子も財宝もわが身には一つも
相添うことあるべからず、されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば唯一人
こそ行きなんずれ」(御文章)
「まことに」とは、いよいよ。
「死せんときは」ということは、いよいよ死に臨んだときには。
「かねて」とは、今まで。
「たのむ」とは依頼ではなくあてにする、頼りにする。
当てにし、力にしていた、妻子も財宝も。
これは夫の立場から言われています。
妻からすれば夫、夫からすれば妻であり、子供や財産。
この妻子と財宝で、今まで求めてきた幸せ全部を言われています。
いよいよ死んでいくときにはそれまで必死で集めてきた幸せ一切に裏切られて、紙切れ一つ、持っていけない。
我が身には一つもあいそうこと、あの世には何も持っていけないのだぞ。
これが丸裸ということです。
「されば死出の山路のすえ、三途の大河」とは後生へ行くこと。
よく死出の山路を歩いて、三途の川に行くといわれます。
山路は険しい、死の苦しみです。
それどころかもっと恐ろしい世界へ堕ちて行かねばならないことを山の険しい道にたとえられています。
最後、「三塗の大河」というのは三途の川のこと、三塗とは三悪道です。
三悪道とは、地獄、餓鬼、畜生。
塗炭の苦しみと言われる。
三途の大河を一人で越えて、次の世界へ旅だっていくのだ。
独りで生まれてきて独りで死んでいく。後生は独りぼっち。