仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

藤原道長の悲惨な最期

 

私たちは生まれてから死ぬまでの一生、50年から100年はとっても長い、
その長い一生の中で誰かを好きになったとか、非常な現実感を持って悔しいね
とか思っているんだけどみんな夢や幻のようなもので、
あっという間に消えて行くんだと仏教で教えられています。

あなた、この思うさまのことなりという表現がよくありますが、
「この世をば、我が世とぞ思う、望月の、欠けたることの、なしと思えば」
という有名な歌があります。

これ誰がどんなときに読んだか分かる?

藤原道長
藤原道長って何で有名なの。

摂関政治で、天皇に変わって政治をする。
自分が実権を握っている。
影で糸を引いている。
何でそういうことできたの

天皇に自分の娘を嫁がせて親戚関係になることでできた、
と言うことで世の中に自分の思い通りにならないことは
一つもないと全盛期に詠んだ歌と言われています。

ちょうどまん丸のお月さんが、私が世の中で栄華栄耀を誇っていて
思うとおりにならないことは一つもないということで
歌ったということで知られているが、
藤原道長というアブクがもうあとわずかで消えるというときに
大変に惨めなことになったのも同時に知られていますが、分かる?

枕元に阿弥陀仏如来の掌に糸を結びつけて自分を引っぱっていってくれと。
どうしてそういうことしたの?

結局色んなものを一生の中で、この世の幸せの限りを獲てきましたが
それが死ぬときになって一つも自分の力になってくれるものはなかった
ということで非常に不安な寂しい心になって
そういうことを言ったと思います。

アブクが浮かんでいる間はアブクが大きいぞ、
金もっているぞと言ってもあっけなく儚く消えて、
死んでいくときは何一つ持っていけない。

ところが自分が死んで地獄に堕ちて苦しみを受けたら困る。
道長は晩年死んで地獄に堕ちる夢をたくさん見て、
死んだらどうなるのかということが怖くてたまらなかった
ということで沢山の家来達に聞いたそうです。

ところがアンタは死んだら地獄だと言いたいけど言えないから、
極楽だと言われても不安道長阿弥陀如来仏像と自分を結びつけて
どうか苦しいところへ行かないようにとひももむすびつけて。

この世をば我が世と思う望月の欠けたることのなきと思っていたのも
五十年乃至百年の間でしかなかったという
寂しい人間の姿がまざまざと浮き彫りになったと言うことで知られている。

だから俺は摂政関白になったぞこんなに金を持っているぞ
と言いましてもその時は夢中で必死になっても
何も残っていない夢幻の人生ということで
浮生とか夢幻の如しと言われているんですね。

御文章の一帖目十一通、電光朝露・死出の山路。

夫れおもんみれば、人間はただ電光・朝露の夢・幻の間の楽ぞかし。
たといまた栄華・栄耀に耽りて思うさまの事なりというとも、其れはただ五十年乃至百年のうちの事なり。
もし只今も無常の風きたりて誘いなば、いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや。
まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一も相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば唯一人こそ行きなんずれ。
これによりて、ただ深く願うべきは後生なり。
またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定して参るべきは安養の浄土なりと思うべきなり。

藤原道長も、私たちも、ここに蓮如上人が教えられている通りです。