死ぬときにはすべておいていきます。
家康は日本を統一しましたが
死ぬときに死後の世界に日本を背負っていけませんでした。
秀吉は大阪城を死後の世界に背負っていけませんでした。
夢の又夢といって、全部手放しています。
丸裸で生まれてきたから丸裸で死んでいきます。
邯鄲の夢の実証です。
お風呂に入るときはタオルは持ちますが、
死んで行くときはタオル一本もっていけません。
この肉体さえも持っていけません。
そういうときが来ます。
すべて手放さなければならない、それが死です。
特徴はこの3つです。
1、他人ごとでない、100%確実
2、いつ死ぬかわからない、今に触れ合う今の問題
3、そのときはすべてをおいていく
こんな所に向かっているのにどうして安心があるでしょうか。
だから不安なのです。
この後生くらい心をぶち破って、
往生一定の身にして下されるのが
阿弥陀仏の本願です。
これが信楽の身にしてみせるというお約束です。
往生一定の
往は、極楽へ往く、
生は、仏に生まれる、
一定は、はっきりする定まってしまう
ということです。
領解文にあります。
たとえば大学の試験では、
試験を受けて発表を見るまでは分かりませんが、発表見たらはっきりします。
普通死んだ後行ったことないから分かるわけないという人ばかりです。
智慧光仏、後生を知る力があるから今はっきりします。
往生 不定の状態ではどんなことしても常に安心満足はありません。
そして死んでいくときにすべてをおいていかなければなりません。