仏教研究室

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『巣鴨の生と死』に書き残された悪人の救い

巣鴨の生と死』という本には、東条英機さんたちがつかまった巣鴨の刑務所。
東京山手線に巣鴨駅。
その刑務所の戦犯たちの様子を、当時、東条さんたちに話をした布教使、僧侶 が書き残しています。
当時、東京大学の先生でもあり、兼、僧侶だった花山信勝という人が著書です。

当時の様子を、よくここまで書き残したなというくらい、細かく7人のことについて書き残されている。

読んでみると、東条英機阿弥陀如来に救われていたんじゃないかというような言葉や歌がたくさん残っている。今日はそれを紹介。
東条さんも、仏教聞くまで、絶対の幸福になる前は、死はやっぱり怖かった。
戦争に行く兵隊たちに、一般人に至るまで、
日本人は、敵の捕虜となることを恥ずかしと思えと、
捕虜になるくらいなら自決せよと教えられた。

沖縄、看護師たちも、もうだめだとなったら崖から飛び降りて自殺
捕虜になればいいのにと思うけど、教育が徹底していた。
降参したら恥ずかしいという。東条さんも人にそう言ってきた人だから、
戦争に負けてアメリカの兵が来て逮捕した、そのとき自殺しようとした。
愛用の拳銃を心臓にあてて、ここにピストル当てて打ったら死ねるという
一番確実に死ねる場所を近所の医者に聞いていた。
捕まるまで、準備していたらしい。

アメリカの兵隊が来て、ちょっと待ってください、と玄関で待たせて、
自分の部屋でピストルを出して死のうと思った。
ところがいよいよ死のうと思ったら、人に死んでけ死んでけと言っていた
東条さんが、死ねなかった。

撃つとか切るとかできるときは、まともな精神状態でないときしか人間は死ねないと、今日でも医者が言っている。
自殺なんて、まともな精神状態では人間はできない。
一時的であれ、まともじゃないからできる、と医者は言っている。

東条さんも、今死ぬとなったら撃てなかった。
あまりに出てこなかったから、兵隊たちが玄関を破ってなだれ込んできた。
その音を聞いて、ピストルを撃ったらしいが、手が震えて心臓には当たらなかった。
肩に当たって、助かった。
そうして巣鴨の刑務所に入れられた。
そういう死が怖くて打てなかった人が、どういう風に変わったか。
今、死刑囚の文章を紹介したのは、別に東条さんだけでなく、従容として死んでいった死刑囚もあるんやないですか、という軽いことを言わせないようにと思って最初に紹介した。

実際に死刑に立ち会った人が証言している。
もしそんな話があるとしたらうそ、虚栄、見栄だと。
本当の現場では、死を目の前にした人は半狂乱だ。

普通じゃない。それほど恐ろしい死が、どのようになるのか。
東条さんはどのように心が大変わりしたか。
最初からいつ死んでもいいという人ではなかった。
特攻隊、零戦で突っ込んでいく、あれを発案した将軍が、いよいよ本土決戦で
いつ本土でやらなきゃならんかとなったとき、最前線から帰ってきた。特攻隊作った人が。
責任者としてはだめだけど、それほど死ぬのは怖いということ。

その中で東条さんが、戦争をはじめ、その頃はいつ死んでもいいと思っていた。
お国のために死んだら靖国神社になれると言われていた。
だから戦争で家族なくした人は靖国神社に行く。いまだに信じられている。
それを信じて闘ってきたのに負けた。裏切られた。
そういう信心が崩れた。東条さんは目が覚めた。
捕まって刑務所にぶち込まれて裁判が始まった。
何より感じたのは、日本の当時の首相でしたので、高い地位、名誉。
お金もち、立派な豪邸に、金や財産、家族にも恵まれていた。
権力もあった。
私たちが欲しいなと思うもの全部手に入れていた。
しかも元軍人のトップに近い人で、総理にまで上り詰めて、
日本の権力を全権掌握して、戦争を始めるかどうか、天皇に裁断を仰ぐだけという立場。
相対の幸福は日本一手に入れた人。
相対の幸福は、他人と比べて喜ぶ幸せで、この世生きていくのに必要な幸せ。しかし崩れる幸せ。
東条さんの家、豪邸。アメリカが取り上げて、アメリカ軍の拠点にした。
昭和のはじめの頃の学校みたいな。

マトリックスで白い服着た双子の殺人者と闘う屋敷の場面、あんな感じ。
そんなとこに住まいして、使用人雇って、閣下と言われた。
そんなすべてを持っていた人が、毛布一枚が全財産。
まさに相対の幸福はどれだけ持っていても死を目の前にしたら総崩れ。
刑務所にぶち込まれただけですべて崩れた。
家も家族とも引き離され、権力ももちろんない。何もない。
ただ牢屋にぶち込まれた一人の人間。眼鏡。

そういう状態になったときに、この世は無常だな、と感じた。
無常といったら、誰の教えかといったら仏教の基本的なところ。
この世は無常、続かない。死んでくとき何も残らない。
それを体験で知らされた。
何にもない、すべて奪われて1人取り残された彼に与えられた判決が死刑。

そうなったときに、死にたくないと思うし、絶対死にたくないのに絶対死ななきゃならなんと
なったら、どう逃げる。逃げようがない。
ところがそのときに東条さんに、幸せがあった。

東条英機達の担当になったのが花山信勝という、浄土真宗親鸞聖人の教えを伝えてくれた。

この本の中には、東条英機の様子がいろいろ書いてあるが、
この花山さんは、相手に応じていろんな本を差し入れて、これを詠んだらいいと本を渡していった。

死刑囚に渡した本の目録が書いてある。
その中には正信偈講座とか歎異抄講話とか、他力真宗の本とか、信心を求めて、とか、浄土真宗に関するいろんな本を渡して、これを読みなさい。
1人に渡されたものは7人で回覧することになっていた。
そのようにして皆親鸞聖人の教えに触れていった。
やがて東条さんは、自分が読んでいた歎異抄の解説書、無碍の一道という言葉がある。

東条さんの言葉に、奥さんに宛てた手紙に、
「無碍の一道がある。忘れてはならない
念仏を忘れるな。俺が永遠に生き抜ける喜びを持つことができたのは、
この有難い仏の呼び声をお受けしたからだ。」
と言っていた。

私がこの無碍の一道に出させていただけたのは、仏教のおかげだ。
お前たちも聞きなさい、と何度も言っている。
そういうようなご縁にあって生まれ変わった。
花山信勝と何回会ってこんな身に救われたのかわかりませんが、
そんなに多くない、3、4回くらいではないかというときに、東条さんは、救われたぞ、といってガラッと変わった。
それからの東条さんは、その救われた喜び、絶対の幸福になれた喜びをいろんな所に書いている。
自殺できるようなものは一切渡されない。ペンとか。
唯一渡されたのが仏教の教え書かれた真宗聖典とか。

その端っこに、唯一渡されたペンで、救われたよろこびを歌にして、あいたところに書き残した、それが残って、花山信勝に、これを遺品として家族に渡してほしいと、そして家族のもとに行った。
今でも残っている。


歎異抄の悪人正機の本当の意味とは?