仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

仏教を伝える自利利他

仏教を伝えて、聞く人が現れると自利利他です。

たとえば子供の世話を焼く、色々と気を使います。
どうすればいいのか
どうすれば死なずに元気に成長するのか

そういうことをする為に
たまごクラブ、ひよこクラブ読みながらやっていきます。

分からないと、5歳の子持ちの先輩に聞くきます。
「4歳になるのに毎日おねしょするんですー」

そういうことを聞くのは、
「死んだら死んだ時じゃないですかー」
答えられない、わめくのを止められませんでした。
お宅、どうやっているのですか??
なるほど、こうすればいいのですか

仏教では、話していくままが、聞かせていただくことになります。
仏教講座では、どう教えてくださっているのだろうと真剣に聞くようになります。

一体何をするのがよいのでしょう??
後輩にお伝えする、これ以上の素晴らしいことはありません。
本当に素晴らしい自利利他です。

子供なら四六時中いるけど、後輩はいません。
今度会った時には、どういう話をすればいいのだろうと悩みます。
仕事は、お金は・・・色々と心配します。
そのままが子供の成長、自分自身の成長です。

後輩の心を掛けるのが、自分の素晴らしい成長になります。
仏教を話すのは素晴らしいご縁です。

そして後輩が生きる意味を聞いたことがなかったのに、
「ここに本当の生きる意味があった、よく教えてくださいました」
その人が喜ぶ。
幸せ。自利利他です。

人間にできる最高のです。

 

絶対の幸福への道のり

私たちはなんのために生きるのか

その本当の生きる目的は、絶対の幸福の身になることです。
それには苦悩の根元を破って頂かなければなりません。

それには一番大事なのが因果の道理です。
まさに、三願転入の教えです。

三願とは、阿弥陀如来の18願と19願と20願の3つです。

絶対の幸福にしてみせるというのが18願です。
この身になる為の人生です。
この身にさせる為の本願です。

ここまで阿弥陀如来が導かれるのに、
真実のカケラのない私たちに
境涯がかけ離れているから、掛け橋が道が必要です。
2階まで導く為には、階段がハシゴが必要です。
それに当たるのが19願、20願です。

まず目的地を教えられ、そこまでの道のりを教えられます。
どこに行けばいいのか、行き先が分かります。
分からない人には、まず目的地を明らかにします。

タクシーに乗るのなら、まず
「東京駅に行ってください」
上野駅に行ってください」
運転手さんが初めての所なら、
そこまでの道のりを教えてあげないといけない。
右ですよ、左ですよ、

運転手が私達です。
後ろに乗った方が阿弥陀如来です。
難度海の丸太んぼうや板切れに乗ってもいけないよ
大悲の願船に乗らなければなりませんよ。
じゃあどっちにいけばいいのですか。
こっちですよ、こっちですよ。
と教えられているのが19願、20願です。

まったく阿弥陀如来 のお導きによって
絶対の幸福になれるのです。

 

何かが足りない不条理な人生

以前、年間CD売上ナンバーワンは浜崎あゆみさんは、
沢山のCDを出したけれど当時19枚連続ミリオンセラーを記録しました。

またLDとDVDを出してみんな一位でした。

沢山の多くの人の注目を集めているその浜崎あゆみが紅白で歌ったのがシーズンズ。
浜崎の歌が好きだという人がみんな言うのが「歌詞がいい」。

つまり、この歌詞から見るのは何かが足りないつまんない、虚しい。

もうちょっと変わりそうな気がするのに少しも変わらない毎日が続いていく。

ぼく社会人なのに、存在意義が感じられないとか、
なんのために生きるのか
とか
うざいとかいうようなことを言う。

どこか遠くへ行きたいな。
どこへ?北海道、でっかいどう。
離れたところがいい。
つまんない。

日本だけでなく海外に行きたい。
こういう若者が多くあります。
そういえばヒット曲というと、子門真人という人が
「泳げたいやき君」という歌を歌っていました。

「♪毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。
ある朝僕は店のおじさんとけんかして海に飛び込んだのさ」

ここから始まるメロディーを子供達だけでなく
おやじ達もおでこにネクタイを巻いて熱唱している。
これも同じ事の繰り返しで、不条理だ。
働く意味はわからないけどやめるわけにはいかなくてうんざりだ。

オレも海に飛び込みたいな。
遠くへ行きたい。
もっと刺激が欲しいという人非常に多いんだね。
実際去年の年末年始、海外旅行者の数過去最高。

日本がつまんないから。
職場がつまんないから遠くへ行きたい。
こういうのが非常に多くあります。
そういえば「人生とかけて日替わり定食ととく」と言った人がいました。

その心は「期待したほど代わりばえしない」
日替わり定食のキャベツがレタスに変わっただけという人があります。

そんな虚無感に満ちた人生を生きる意味
仏教に教えられているのです。

 

 

仏教で答えが出る問題とは?

現代の話の特徴は非常に話題になっている自殺が中心です。

自殺はテーマが暗い。
でも自殺の話題は最も仏教にピントが合います。

リンカーン
「There is a wil lThere is a way」

孔子
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

というのは明るくていいんだけどちょっとピントが外れます。

自殺 の話はピントが合っています。

自殺 の問題はやったことのある人は少なくても考えたことはあって、
考えたことがなくても癒されたいとか
人生孤独不安という人は実に多くあります。

ちなみに一番売れた本は人生の目的だけど、
一番売れたCDは浜崎あゆみです。

彼女自身が、両親が離婚して、
歌の歌詞は「居場所がなかった」とか、
「私はがらくたで誰も振り向いてくれない」とか。
愛に飢えているというか
寂しい人生どこに向かっていくの?」
と歌っているの。

浜崎あゆみがこれだけ売れて、
人生の目的が売れているということは、
今ほど多くの人たちが孤独で暗い人生を
なんのために生きるのか
自分の存在意義に悩んでいます。

私の心がこんなに暗い状態からガラッと明るくするにはどうしたらいいのか、
これほど知りたいことはないはずなんですよ。
これが仏教で答が出るのだからいいね。

私の分析によると家族の騒動とか、
もっと愛して欲しかったという人は少なくないです。

そういうところからその
「寂しくってつまらなくってひとりぼっち虚しい
でも人に言うわけにいかない」
そういう心を一念でぶち破って解決して、
私の人生このために生まれてきたと心から喜びが溢れてくる、
これが仏教です。

この答えをハッキリと出します。

癒やし系の流行る原因

昔、ソニーのいやし犬にAIBOというのがでたね。
これ3年前に第一号が出たとき25万円か50万円か、
相当の値段をしたわけ。
普通そんなの買わないでしょ。

機械の犬ですぞ。
これが馬鹿売れしちゃいます。
Glayのテルまで買っています。
あんな多くの人から「キャー!テル!」とか言われているのに
家帰ったらアイボですよ。

さらにソニーはアイボのバージョン2を売り出します。
これがまた大人気だって言うんですね。
どうして生きている犬を飼わないんですか。

「うんちするでしょ」
「生きた犬は死ぬから」とか、
「手間がかからないから」とか、
考えてみると最近機械の犬だけじゃなくて
機械の金魚とかクラゲとかこういうのが大ブレイクしているんですね。

癒し系のおもちゃ。

学園祭のシーズンに学園祭のキャンパス
でそのテーマになった言葉に多いのが「癒し」。
「いやらしい」じゃないんです。
癒し。

大体音楽にしてもさ、今流行する音楽ってどういうのか。
癒し系ミュージック。
坂本竜一から始まって。

「♪人は涙見せずに大人になれない」
そうそう涙見せずに大人になれないんだよな。
あれサザンオールスターズのTUNAMIって、
300万枚突破しているっていうんでしょ。

サザン過去最高の売り上げ。
津波って聞くとその後何がくるかというと
「♪津波のような侘しさにIknow…怯えてる」
っていうんでしょ。

いかに癒されたいか。
いかに心がくたびれているか。
こういった感じがします。

男性に人気のある女優。
これ考えても癒し系女優、癒し系アイドル
本上まなみとか優香とか、
側にいて一緒に泣いてくれそうな、そういう人がいいと。

多くの人達が癒されたいと言うことは心が渇いていて傷ついていて、
孤独寂しい、そして虚しい、こういう感じがしますね。

水戸黄門と浜崎あゆみの共通点

水戸黄門といわれる水戸光圀のよんだ歌。

ただ見れば何の苦もなき水鳥の
足にひまなきわが思いかな

水鳥は水の上を気持ちよさそうに歩いています。
しかし水の下は外からは見えないけれど、思いっきり水をかいています。

浜崎あゆみ水戸黄門と、キャラは違うけれど、同じ心をうたっています。

天下の副将軍水戸光圀といっても、誰かに狙われないかと戦々恐々としている。


浜崎あゆみアピアーズ」

恋人達は とても幸せそうに手をつないで歩いているからね
まるで全てのことが 上手くいってるかのように見えるよね
真実はふたりしか知らない
見かけ。
えぇ格好しぃ。
外見は幸せそうにしているけど、内面は心配や不安をかかえています。

大学生で、自宅にいる人がいて、下宿したいと思っている人がいます。
「こんな自宅早く離れたい。自由にきままで、下宿はいいなぁ」
とあこがれます。

一方下宿生に聞いてみると、限られたお金の中でやりくりするのが大変。
自炊をするには、時間がかかります。
責任も伴うし、結局自宅にいるほうがいいと思っています。


いま、私が心配だったり、不安だったりするのは、
自分にこれらのものがないからと思って、
あるようになるように懸命な努力をします。

全人類の営みは、「無」の状態から「有」の状態になるように懸
命な努力をしている。

ところが、実態はどうか。
有っても無くても心配であることに変わりがない、
有無同然です。

ではなんのために生きるのかが問題になってきます。

 

人生の努力は無駄?

私たちは、生まれてきた時は何ももってませんでした。
私を幸せにしてくれそうなものだ、というものを自分の周りに集めていくわけです。
だから私達の周りに「モノ」はたくさん増えていく。
しかし20世紀がそうであったように、その縮図が私です。
10年前の私と今の私、周りに溢れているものは格段に違っているはずです。
なのに、10年前に比べてはるかに幸せになったと言ってる人はありません。

一生懸命回るだけの苦労ではすべて無駄。
実は大変ショッキングな事実なんです。

これを仏教流転輪廻といいます。
同じ所をぐるぐる回るだけです。

これから先もいろいろのものが身の回りにそろうことでしょう。
出世する。
家を建てる。
では、そのうちに「いやぁ、幸せだ!」という時がいつかやってくるか。
そんなものではありません。
また、それらを手に入れるには、それなりの努力や苦労が必要になるわけです。
それらの努力や苦労が本当に報われているのか。
報われるのならイイんです。
しかし、流転輪廻は報われません。
一切無駄ということになるわけです。
自分の生涯が無駄になるわけです。
悲劇です。

これは捕虜の話がピタッとくるわけです。
捕虜を苦しませるということで、
A地点に穴をほらせてB地点に土を持っていく。
穴ができるとB地点の土でA地点を埋めさせる。
意味はない。
これを永遠に繰り返す。

掘るのも背負うのも運ぶのも、楽ではありません。
せめて、あと3回、あと100回となったらヤル気が出ますけど、
果てしなく続くとなったら、ヤル気でませんよ。
一切の装飾を取り去れば、私達の人生というのは流転輪廻です。
この果てしない作業と同じです。

働く意味は見いだせません。

究極のたとえとしては、去年の宝くじを買うのと同じことなのです。
絶対当たらない。
絶対求まらない道を求めているんですから、
これは悲劇です。

そうは言っても、そんなことはない!と思うのがみんなです。
しかし、仏の智慧をもった方からご覧になれば、
回っている姿に変わりはありません。
これを自他ともに徹底するというのは、大変なことです。

そして、本当の生きる意味は、仏教に教えられています。