仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

大学生活の日常と人生の目的

大学生の日常の風景
「ムチャだるい」
「つかれたわー」
「疲れることはしたくない」
「何かおもしろいことないか」
「ひまつぶししよう」
よく、時間をつぶすということを、killtimeというが、
これは自分の命の火を無駄に使うということであり、命を殺しているということであり、人生を殺してるということである。
時間に対する緊張感がないということは、人生に緊張感がないということである。
これは、ぐうたらな人だけではない、結構勉強ができる、いい会社に就職してる人がそうなっている。

これは、生きる意味も人生の目的も知らない。
生まれて来て良かったということは何かということを知らないということからおきてくる。

これらの問題に、終止符を打つ、人生の目的は何かという問題を明らかにするというキーワードが天上天下唯我独尊という言葉。

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夏休みの思い出

白血病と言うと思い出すことがある。
夏休みに、18才のとき代ゼミに夏期講習に行った説き。

その部屋は長い机だった。
真中のほうに入ると出られなくなる。

真中のほうに女性が座っていたので、
遠くからやってきて、その後ろに座る。
話をして電話番号を聞いた。

ところが彼女は医学部を受けるという。
自分よりもはるかに勉強ができる。
勉強を教えることで
お近づきになろうと考えていたのに
全く歯が立たない。

それから、勉強もあるからしばらくあわずに、
受験が終わった後に
また電話をかけてあおうと言うことに。

やがて受験。
私は滑った。
彼女に会うまで何も言わなかった。

そのとき、私は原宿の駅の竹下通り口でないほうで再会、
あれからかれこれ半年近く経った。

その彼女にあうと、
同じ人物とは思えないほどやせてしまった。
顔の色がさも病人。

その時、彼女が実は白血病であることを
はじめて聞いた。

なぜ医学部を受けたかと言うと、
自分は子供のころから病弱で、
死ぬかもしれないという時が何回もあって、
たくさんの人たちに助けてもらった。

自分も医者になった一人でも多くの人の命を延ばす、
だから受験に頑張った。

ところが彼女、受験の直前に病状が悪くなって受験できなかった。
A判定だったのに。

自分は全く不純な動機で予備校に入って、受験をして。
さして生きる死ぬと考えておらず。

当時の価値観そこそこでそれでいいんだという
自分とあまりにも違いすぎる。
そういう自分の方がぴんぴん。
ひたむきな彼女の方が亡くなろうとしている。

そのあと生きる意味とは何かと言うことを
仏教で知らされるきっかけとなった。

 

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人生の設計図

二十歳の人は、人生の設計を立てるときです。
人生の設計図を立てるのが二十歳の頃だが、
ビルでいうと、高いビル、かっこいいビル、おしゃれなビル、
この設計図をいかにして描くかということも大事です。

もしビルを建てるなら、
いかに不測の事態に備えを持っておくか、
他の人がそんなところまで思いを巡らしていない、
そういうことを事前にキャッチして、対策を考えておく、

こういう人は素晴らしい。
間抜けな人は、みんな考えていても、その人だけ考えていない。

大学生でいえば
近い未来に待っている大事と言えば、就職でしょう。

面接官というのは何を見るかというと、その人の人柄。
面接して、欲しい人というのは、誰とでもコミュニケーションできる人。
挨拶できない、会話できない人が、
面接の時だけやろうとするんだね。
あとは、物事の段取りができる人。

旅行の幹事とか、
何を持っていったらいいかというような事ができる人。
就職すると次は結婚も控えている。

普通、親御さんが心配するのは
就職とか結婚難だけど、これは一手先とか、二手先。
ところが、もっと先に必ずやってくる死ということについては、
誰も考えていない。
メメントモリとはこのことだったか。

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人世間愛欲の中に在りて、独生れ独死し独去り独来る。(大無量寿経)

人世間愛欲の中に在りて、独生れ独死し独去り独来る。大無量寿経

人世間」ということですが、子供の頃に「人」というのはお互いに支え合っている
という話を聞いたと思いますが、人間というのはどうも寂しがりやで、
愛欲というのを持っているようです。
愛を下さいと歌っていた人もいますが、
そうきくとすぐに若い男女は恋愛のことをさして、
恋人が欲しいということ、
だけではありません。

愛が欲しいというのは、自分のことを分かって欲しいということです。
つまり、自分のことを認めて欲しいと。
認めてもらったら、今度は大事にして欲しいということです。
そういうことで、愛飢男といいます。

もうちょっと私のことを認めて欲しいのに、誰も認めてくれない。
逆に、けなされている気がする。
そうすると、私達はそういうのを嫌に思いますね。
子供の頃というのは、それを父親とか母親に求めるものです。
たとえば子供がミルク欲しいときになくと。
お母さんにもう少し自分のことを分かってもらいたい。
しかし、全然分かってくれないということになると、だだをこねる。
そして何とか気をひきたいと、泣いたり、うそをついたり。
そういうわけで、子供というのは、
自己中心的で自分のことを分かってもらって当然と思っているのですね。
大人になってもそういう人は、精神年齢が子供だぞといわれます。

しかし、あゆの場合はそのお父さんが出ていってしまった。
こうなると、子供心に大変傷つくということになります。
よく、親子の断絶という事が言われて、
どんどん無口に、どんどん無表情になってしまって、
目が点になったり、
目に穴があいてしまったりする。
縄文式土器です。
親が全然分かってくれない。
そして、ただ叱りつけるだけ。

インターネットで一番検索されるキーワードの一つに、
幼児虐待というものがあります。
虐待された子供というのは、表情がない。

中学時代の友達に、よく恋愛の相談に乗ってくれる人がありました。
絶対に漏らさないということで、
秘密の話をする人が親友とか思っていたら、
そういう人に思いっきり裏切られる。
そうすると、二度と人なんか信じるものかと思ってしまいますね。

以前よく売れた本に、
「だからあなたも生き抜いて」という本があります。
これは大阪に住んでいる女性の弁護士で、
中二の時に自殺を図って、極道に入って、
極道の女になったんだけど、
そこから弁護士を目指して実際にそうなったという話です。

この人が割腹自殺するきっかけになったのは、
絶対に大丈夫と信じていた友達が、
絶対にばらして欲しくない人に秘密をばらしていた。

それで、もう信じられないと思ったそうです。

大事な話を誰に相談するかと聞くと、メル友だそうです。
メル友にどうしてはまるのかと考えてみると、
もし生身の人間だとすると、裏切られたときのショックが大きいと。
顔を合わせて、話をすると、恥ずかしいことやいいにくいことが言えない。
そして、神経を使うのが嫌だ。

インターネットというけど、
唯一有効に使われているのは就職情報くらいで、
あとは出会い系サイトが主だそうです。
そっちの方が、裏切られても傷が浅いから。

生身の人間に裏切られるとショックが大きいから。

だから、機械の犬なんかが出てくる。
心がくたびれて、疲れているから、いやされたいというわけですね。

ほとんどの人がはまるゲームにRPGがあります。
これは、役割を演じるゲームで、
自分が現実にそういうことをやるわけではないんだけど、
仮想世界の中で物語が展開していくと。

おれ傷つかなくていいもん、この勇者が傷つくんだから。
そして、ゲームオタクというのは、人とつきあうのが嫌で、
家に引きこもってしまうと。

今の状況にどうも満足できず、刺激が欲しい。
友達と遊びに行ったり、
直接つきあうと裏切られるのが怖い。
だけど、もう少し自分の事を認めて欲しい。

携帯電話の宣伝で「」ところが人間というのは、
繋がっていたいものなんだね。

心が繋がるというのは、自分の心を分かって欲しい、楽しくして欲しい。
本当は強い訳じゃないのに、強がりをいっている、
そんな胸の内を分かってもらいたい。
大事にしてもらいたい。

東京砂漠で、携帯もパソコンもあるのに、
いい知れない孤独を抱えているのですが、
それが2600年前の大無量寿経の中に
そっくり書いてあるわけです。

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目的がなくても生きている?

 

生きる目的が大切というと、
「目的がなくても生きていけます」という人がある。

「目的なしに生きるのは、生きれば生きるだけ死に近づくだけだから、死ぬために生きるようなもの。
目的がないと意味もなく死んで行く人生になるだけだろう。
大事じゃないか?大事だろう」
と言って相手が分かるのは、論理的な人。

しかし理科系でロジックな人でも、
目的という曖昧な言葉から難しい話はやめてくれという人も多い。

そういう人には
「みんな人生の目的を求めているのでないか」
というよりも、
「みんな幸せを求めて生きているのではないか」
と言えばいい。

人間というのは何のために生きているのか分からずに生きている。
それが変なことなのに、変なことだと思わずに生きている。

その変なことに決着をつけられるのは仏教のみ。
変なことを変だと思わせて、それに決着をつけるのは、仏教によらなければわからない。
人生は宝探しだと思う、探すのが人生の目的だと思うという人には、
「そうだよね。最初からわかってしまったらわからないものね」
といって仲良くなるのがいい。

「人生の目的がわからずに生きているのは、ちょっと変だよね」
それがハッキリするのは仏教によってハッキリするのですから。

 

「人生の目的は人それぞれでないですか」という人もある。

人それぞれではないかと言うのは当然のこと。
智慧や経験が人ぞれぞれの自分の力で作り上げているものが
人生の目的だと思っているから当然。
だから
「そうだね。みんな人それぞれだよね。表面的には。
だけれど、みんな幸せを求めているという点でみんな一緒だよね」
ということ。

生きる目的については以下の記事に詳しく解説されている。

 

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心の居場所と寂しさ

心の居場所ってことは最近よく取り上げられて、
最近友達に見せてもらったノンノってざっしにもでていたんだね。
私が定期購読しているわけじゃないよ。

そのノンノには
「あなたが居場所がないと感じる時はどんな時ですか」
ってアンケートがあったんだね。

その結果を見てみると、なんと
1位が友人、
2位が学校、
3位が家庭、
4位が恋人って言う結果だったんだね。

この結果を見て私はなんとも言えない気持ちになりました。
普通、友達がほしいと言うときは独りでいるのがいやだ。
話し相手がほしいと思うから、友達を探します。
ところが、その友達といるときが一番孤独を感じるんだって。

これはなぜかっていうと楽しくもないのに楽しい振りをしなくちゃ行けない
とか、笑いたくもないのに笑わなければならないとか、
親友だと思って相談したら、
「そんなこと知らないわよ」とか
「おまえそんなつまらないことかんがえてたの」
って冷たく言われたからなんだって。

本当は友達に相談したい悩み事があるんだけど、
それを言ったばっかりに
「おまえって暗いやつ」
って言われて友達を失うのが怖くて相談できなくて
友達といる時に孤独を感じる人も多いって言われている。

本当はわかってもらいたいのにわかってもらえない。
もっと自分を見てほしいのに見てもらえない。
理解しあいたいのに理解しあえないと言うのが実態なんだね。

だから独りでいる時よりも余計に孤独を感じる人が多いんだね。

学校にしても、入学した時から、周りの人としのぎを削って
「私今日はあまり勉強してこなかったとか」とか
「物理わからねえ」
と言って友達を油断させて、
自分はちゃっかり良い点をとるような心の駆け引きみたいなものがあるんだって。

だから、友達と話をしていてもどこまでが本当のことなのかわからないから、
あたり障りのことしか話ができないんだって。

しかも、先生もテストの点のことしか言わないし、
テストの点で人間の価値が決まると思っている先生も多い。

あからさまには言わないけど、そんな雰囲気をかもし出しているって言うかさ。
だから、点が悪いとごちゃごちゃ言われる。

あからさまに、
学生を使って学校の名前を売ろうと考えている先生もいて、
そんな先生の売名行為のための道具のように
本当は勉強をしたくもないのに勉強をやらされていたと言う人も毎年実際あるんだね。
それに反発するとおかしい学生だって思われてまわり白い目で見られる。
だから、学校に言っても居場所がないっていう人も多いんだね。

家庭にしても親は成績やテストのことしか言わないから、
だんだん家庭でも会話がなくなっているらしい。
しかも、テストの点が良ければ、誉められるし、悪ければしかられる。

本当は親にテストの点が悪くても
「次ぎがんばろう」って励ましてもらいたいのに、
励ましてくれるどころか、
「何でもっとがんばらないの。
お友達なんか今回あんたより10点も優秀な成績だったんでしょう。
情けない」
ってな感じで全然わかってくれない。

だから子供はそのうち、
良い点や親が望むような子供になることを使命のように思っちゃって
自分はこうあるべきっていう役を演じるんだって。

ところが、その役を演じきれなくなった時に、親をバットで殴ったり、
殺したりする事件の形をとってその思いが爆発するんだね。

結局、家にいても自分のことを誰もわかってくれないって言うわけ。

恋人にしても、今付き合っているあなたと別れたいと思っていても
そんなこと彼女に相談できないし、
二股かけていることなんか絶対に言えませんね。

また、悩み事なんか打ち明けて、
「暗いやつ」とか
「あんたなんか嫌い」って
嫌われたらどうしようって思うからなかなか相談もできなってわけ。

しかも彼氏や彼女にいつまでも見つめていてもらいたいって思って、
いつもはぼさぼさの頭や汚い服であっても
彼女や彼氏といる時はそんな自分を隠して彼女ようの私、
彼氏ようの自分を用意してその役を演じるそうだ。

だから、本当の自分をわかってもらいたいのに
本当の自分を知られたら別れれられるんじゃないかと思うと
なかなか見せれないっていう人も多いらしい。

だから、わかってほしいのにわかってもらえない、
もっと大事にしてほしいのに大事にしてくれない、
わかりあいたいのにわかりあえないところに
独りでいるときよりも孤独を感じるんだって言われている。

じゃあ、わずらわしい人間関係を断ち切って「独りでいいですわ」っていっ
ている人も心を覗けば、孤独な心を抱えている人は実際多いんだね。
みんな心の居場所がないって言うことなんだね。
さびしんだね。
人間は。

 

その心の寂しさについて解消法が詳しく解説されてた。

 

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どうしたら幸せになれるかは難問

私たちの行動はすべて幸せ、安心や満足を求めてのものです。
お昼ご飯を、親子丼にするか、
吉野家の牛丼にするか、
はたまた鹿児島の西郷ドンにするのか?

選ぶのはより美味しくてお買い得で、
より幸せな気持ちになれるものを選んでいるわけです。

みんな幸せになりたいと思っている。
苦しみたいと思っている人はない。
毎日毎日、病気にならないかな、事故にあわないかな、
何かふってきて頭にあたらないかな、
隕石が自分のうちにおちてくれたらいいのにな、
と思っている人は明らかに異常です。

いつの時代でもどこの国の人でも共通しているのが幸せになりたいってことです。
ところがどうしたら幸せになれるか、という問題が意外に難しい問題なのです。
というのは古今東西の歴史を振り返ってみますと、
これだけの者を得たら幸福だろうと思っていても
実際幸福でないと本人が語っている例がたくさんあるからです。

例えば20世紀で最も成功したミュージシャンは?
ビートルズですね。
ズートルビではありません。
知りません?
そんな人達もいたんです。
平安時代にね。

そのビートルズ、出す曲出す曲が大ヒットで、
ある歌なんかはラジオで朝から晩まで全部流していた。
1位から5位を独占したこともあった。

その人気絶頂で、映画まで作ったときに歌った有名な歌に「ヘルプ!」という歌がある。
そのまま「助けて!」ということですが、
これは本当に「助けて!」という
ビートルズの叫びだった。

だけでもみんな気づかなかった。
世界で最も注目され、最も愛されて、最も人気のあった人たちが「助けて!」
と本気で叫ぶはずがないと思っていた。
日本に来たときも、失神する女性が続発したそうですが、
ちなみに三島由紀夫がこの時警備員をしていたそうです。
さらにちなみに、ビートルズ日本講演の前座はドリフターズだったそうです。

話をもどしますと、そのビートルズこうも語っています。
「僕達はすべてのものを得て、何もないことを知った」
う〜ん、深い言葉ですね。
すべてを得てというのは「お金や人気、名声、地位」といったみんながよだれ
たらして欲しがっているものすべて、ということでしょう。
ところがそれらのものを得たのに幸せになれなかったということです。
だから幸せと簡単に言っていますがなにが幸せなのか分からないものです。


【幸せの相対性】ハーバードが解明した仰天の事実(人生を変える幸せな生き方とは?)