正信偈で、
阿弥陀如来がまだ菩薩の頃、
法蔵菩薩といわれていたとき、
世自在王仏のもとで、修行に励んでおられた。
あるとき、法蔵菩薩が世自在王仏に手をついて、
お師匠様、お願いがあります。
すべての人を見ていると、生きる目的を知らず、
生き方ばかりで苦しんでいます。
どうか、助けさせてください。
ところが世自在王仏は、
あれは金輪際助からないものなのだ。
無駄だからやめておけ。
師匠の弟子に無駄な努力をさせたくないと思う心です。
ところが法蔵菩薩は、
それでは私が見捨てたら、あの者たちは絶対助かりません。
どうか助けさせてください。
やめておけ、助けさせてください
やめておけ、助けさせてください
と押し問答が繰り返されます。
世自在王仏が法蔵菩薩になんとかやめさせようとたとえでいわれた。
それは、大海の水を貝殻でくみ干して、底に沈む宝を
身体をぬらさずにとってくるよりも難しいことなのだ。
だから大無量寿経にこのように言われています。
「たとえば大海を一人升量せんに、劫数を経歴して、
尚底を窮めてその妙宝を得べきがごとし」
法蔵菩薩は底なしの慈悲によって
「それでもなんとかやらせてください」
といわれる。。
世自在王仏は根負けされて許可を出された。
そのとき法蔵菩薩は、自分が救われたがごとく飛び上がって喜ばれた。
これを法蔵菩薩の願心という。