覚如上人の『執持鈔』にこう記されています。
一切衆生のありさま過去の業因まちまちなり、
また死の縁無量なり、
病におかされて死する者もあり、
剣にあたりて死する者もあり、
水に溺れて死する者もあり、
火に焼けて死する者あり、
乃至寝死する者もあり、
酒狂して死するたぐいあり。
これみな先世の業因なり、更にのがるべきにあらず。
(執持鈔)
臨終の善悪は沙汰しないということが書かれています。
病におかされて死ぬ人が日本人の大部分です。
剣にあたりてというのも、ニュースをみると
通り魔や一家惨殺事件がおきます。
水に溺れて死ぬ人も、夏になると多く、
家でも風呂で不慮の事故で死にます。
火に焼けて、火事で死ぬ人もあります。
寝死する人というのは、朝起きてこずに死んでいる人です。
酒狂してというのも、酔っ払いが線路に落ちて死んだり、
お堀に落ちて死にます。
過去にどんな種をまいてきたかで決まります。
眠る様に死んだからだから極楽往生間違いない
目を向いたから地獄じゃろう
何とか静かに死にたいものだ。
死に様ばかりを問題としています。
死に様と往生 とは一切関係ありません。
生死流転の本源が自力の迷情であることを知らないのです。