仏教では、私たちの行いを心と口と身体の3方面から見られます。
心を行いというのも世間と違いますし、その上その3つの中で、一番大事なのは、心であることもまったく違います。
世間の法律は、身体の行いを一番重視します。
今ストーカー殺人事件がありますが、無言電話がかかってくるし、アパートの近くまでつきまとっています。
こういう苦情があっても、結局警察に相談していたのに殺されてしまいます。
なぜかというと、殺されてしまうまで決定的な対処ができないからです。
なにか決定的な障害とか問題がおきないと手を出せないというのが警察です。
口で言った、これで警察が取り締まれるのはごく一部です。
このように、法律の場合、外から確認できる確実な証拠がなければならないのです。
しかしながら倫理や道徳ではもっと口で言うことも問題になります。
変なことを言うと、道徳的には失礼なことを言ったとか、
問題発言したということで評価は下がります。
法律や道徳倫理ではここまでですが、それらではわからないのが心です。
だけど事実は心が中心です。
なぜなら心が思ったことを口や体でやるからです。
「ちょっとちょっとネクタイが曲がってますよ」
と言われれば
「ああ有難うございました」
といえますが
「ちょっとちょっと根性曲がってますよ」
といわれたら、
「なんだと、あなたのほうが七曲がり半多く曲がっている。
あんたには言われたくない」
と思います。
心をそれだけ大事にしているのです。
ですから仏教でも、その事実をありのままに見つめて、心を最も重視するのです。
ですから心が私たちの運命に最も大きな影響を与えます。
これは、引き寄せの法則でもいわれますし、原因と結果の法則でも言われますし、鏡の法則でも言われます。そのルーツが仏教 の因果応報にあるのです。