仏教では
「殺るよりも劣らぬものは思う罪」
と歌われるように、手にかけて殺すのも殺生罪ですが、
心で思ったらもう殺生罪です。
この心の罪というのは信仰が進んで罪悪感が深まらないと、わかりません。
ですが真実はそうです。
わかりやすく数字でいえば、
口や体は1とすれば、心は2です。
これ世間の常識とは違います。
私たちの常識では体や口は重い。
心は殆ど問題にされませんが、
仏教はその常識を覆しています。
心の方が罪が口や体よりも倍だと説かれています。
それが真実です。
心で思っただけでその罪、その業力は阿頼耶識に収まります。
喜ぶ心があるだけでも同じ業ですから、殺生は随喜同業といわれます。
例えば一軒の家でゴキブリが走っていました。
それを見た奥さんが、自分で殺すのは嫌だから、主人にお願いしました。
主人は期待されたのでよし判った、私がやっつけてやる、
こう思ってゴキブリを新聞紙を丸めてぱしっと殺しました。
そうすると殺した本人は主人だから主人は自殺という罪です。
奥さんからすればゴキブリに対して呪うなら主人を呪いなさい、
わたしは殺していませんよと言う気持ちかも知れませんが、
奥さんも命令して殺しましたので
奥さんも他殺の罪を造っています。
ところがそれを見ていた子供がお父さん、やったやったと
お父さん上手だと喜んだ子供があるなら、家族三人皆殺生を犯したことになりま
す。
その悪の種まきは必ず本人が刈り取っていかなければならないのです。