浄土真宗の葬儀でよく読まれる蓮如上人の白骨の章に、
我やさき人や先、今日とも知らず明日とも知らず、おくれ先立つ
とあります。
死と聞くと隣りのお祖母さん、ペースメーカーがついている人が死んで行くと思います。ところが、蓮如上人は、人が先ではありませんよ、私が先ですよ、ということで、我や先、人や先といわれています。
みんな自分が死ぬのは遠い先のことで、30年も50年も先のように思っていますが、実際にはいつ死ぬか分かりませんり
今日とも知らず、明日とも知らず
と言われています。
明日死ぬと思っていないのはいつまでも死なないと思っているようなものです。
明日死なないというのは、明日になればまた明日死なないと思います。
こうしてずっと明日死ぬと思わないので、永遠に死なないと思っているのです。
しかしながら
今だ萬歳の人身を受けたりということを聞かず
といわれています。
いまだに一万歳生きたという人を聞いたことがない。
良寛は、辞世に
散る桜 残る桜も 散る桜
とうたっています。
今死ななくても必ず死んで行くのです。
実際に日本だけでも1日3500ー4000人が死んでいます。
それは年をとった人だけでなくて、新成人でも、事故で亡くなっています。
他人ではなくて我が身が死ぬ時がきます。
地球全体では、1日90万人死んでいます。
雨が降るように死んでいます。
そして自分がその滴になります。
死の縁、無量といわれてどんなきっかけで死んで行くか分かりません。
ゴルフで池に落ちてなくなる人もあります。
むつまじき親子だにも捨てられて独生独死独去独来
死んで行く時には、家族とも別れて、ひとりぼっちで死んで行かなければなりません。
仏教では、