仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

やりたいこととやるべきこと

やりたいこととやるべきこと言葉は似ているがぜんぜん違う。 やりたいことは楽しいことだが、やるべきことは楽しくない。 やりたいことはやらなくてもいいが、やるべきことはやらねばならない。 やるべきことの代わりにやりたいことをやって後悔したことない…

私たちの人生の土台

私達は生を土台にしている。命あってのものだね。 お金も地位も名誉も家族も登山などの趣味も仕事も大前提が、生。 ニュースで女性のサーファー、世界的な有名な女性。片腕をサメに食われた。家族もニコニコしている。死なずに済んだから。良かった良かった…

何のために勉強するの?勉強する目的

よく子供から、何のために勉強するの?という質問があります。 これは、将来いい仕事につくため、では答えになりません。もし社会に出て役立つ勉強だったとしても、 越えなばと思いし峰に来てみればなお行く先は 山路なりけり という歌のようになるからです…

世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく(一休)

人の一生を一休さんがこんな歌でたとえています。 世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく 娘時代が一番よいとき、楽しい時といわれるので女編に良いと書きます。結婚すると他の人の家に入るので嫁とかく。お嫁さんも子供が生まれると嬶といわれ…

人生何をすれば後悔ないのか?

人生の最後問題になるのが、人生の中で何をやればいよいよ死んでいく時でもよかったと終われるのか。普通どう考えるか。やりたいことができなかったら後悔が残る。だからやりたいことをやりたいだけ積み重ねていけばきっと死ぬ時に後悔ないんじゃないかと思…

人生の最終的なゴールとは

人生の最終的なゴールとは何か。 例えばレストランに入ったらどうするか。料理を注文する。そして、話をしたりする。食事以外にも、景色を見たり、パソコンをしたり、マンガを読んだりできる。こち亀がよくある。「料理まだかなあ」と思っていると席が混んで…

芥川龍之介が人生を海にたとえている

日本では年間12万冊の本が出ているそうです。その中で、優秀な文学の新人には芥川賞が与えられます。 普通自分の名前が賞がつくというのはなかなかありませんよね。それほど芥川龍之介はすごいということです。 その芥川はこのようにいっています。僕達が…

仏の慈悲とは

聖徳太子の十七条憲法では、第一条が和を以て貴しとなす第二条が篤く三宝を敬え三宝というのは、仏教のことです。 本当の生きる意味は、仏教にしか教えられていません。同時に仲良くやりなさいと言われているのが仏教です。反対する人にも伝えるのが仏教です…

歓楽尽きて哀情多し・人生が虚しい意外な原因

漢の時代の武帝という王様がいます。武帝という王様は、「歓楽尽きて哀情多し」と言っています。漢の武帝で有名なのは、酒池肉林です。酒をそこら中にもってきて、飲み放題にしました。酒の池のようなものです。うまいものそこら中にあります。この肉という…

目先の欲に心を奪われる

教訓的な話があります。ある人通りの少ない山道を、大きい牛をひいて、わが家へ急いでいる一人の農夫があった。 牛は彼の最も大切な財産らしく、ふり返りふり返り、いたわりながら、日暮れの道を急いでいる。やがて、農夫の後ろに二人のあやしげな男が現れ、…

『巣鴨の生と死』に書き残された悪人の救い

『巣鴨の生と死』という本には、東条英機さんたちがつかまった巣鴨の刑務所。東京山手線に巣鴨駅。その刑務所の戦犯たちの様子を、当時、東条さんたちに話をした布教使、僧侶 が書き残しています。当時、東京大学の先生でもあり、兼、僧侶だった花山信勝とい…

パラノイアだけが生き残る

お金がない人は、自分が幸せになれないのはお金がないからって思います。後1000円で1週間すごさなきゃならんという人がいて、死にそうな顔していました。項目見ないで値段見ます。 一番安いほうから探します。そして、「これっ」て言うと「食べ物じゃないで…

歓楽尽きて哀情多し・人生が虚しい意外な原因

漢の時代の武帝という王様がいます。武帝という王様は、「歓楽尽きて哀情多し」と言っています。漢の武帝で有名なのは、酒池肉林です。酒をそこら中にもってきて、飲み放題にしました。酒の池のようなものです。うまいものそこら中にあります。この肉という…

歓楽尽きて哀情多し・人生が虚しい意外な原因

漢の時代の武帝という王様がいます。武帝という王様は、「歓楽尽きて哀情多し」と言っています。漢の武帝で有名なのは、酒池肉林です。酒をそこら中にもってきて、飲み放題にしました。酒の池のようなものです。うまいものそこら中にあります。この肉という…

浄土真宗の間違ったグルーブの見分け方

浄土真宗では、間違ったグループがたくさんあります。親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人と異なる信心を異安心といいます。 信心は心の問題ですので、その人の心がどうかは分かりません。分かるのは、その人が説く教えです。 ですから、浄土真宗の教えを相当学ん…

仏教は仕事をやめて聞かねばならない?

蓮如上人の御一代記聞書にこのようにあります。「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと、浅ましきことなり。仏法には明日ということはあるまじき」由の仰せに候。「たとい大千世界に・満てらん火をもすぎゆきて・…

医学は命を延ばすのが仕事

生きることを山路を登っていくことにたといえると、途中でしゃがみ込む人もいます。それは自殺をする人です。 そういう人がいると、「頑張りすぎだよ、マイペースでいいからもう一回やってみよう」といいます。 自殺する人は、弱々しい人だと思いますが、弱…

こんなはずじゃなかった・在宅医療から総合人間科学へ

「こんなはずじゃなかった」という番組があります。 早川さんという方が、在宅医療を推進してきた話です。 NHKから、26歳の時、28歳の時、90歳の時と70年取材を受けている人です。 死を迎えるのは、病院か、在宅か。在宅は天国といっていたが、自…

諸行無常が分かったらどうなるか?

諸行無常ということが分かったら大変なことになります。 諸行無常とは?儚い人生を輝かせるただ1つの方法 ロシアの文豪トルストイに『懺悔』という本があります。 もともとお金持ちだった彼は、努力の結果、作家活動で名誉を手に入れて、生きる意味が分から…

スピリチュアル・ペインから導かれること

最近は、死んだらどうなるの不安は、学問の場で取り上げられています。臨終の時に起きてくるこの不安を、スピリチュアルペインといいます。 スピリチュアルペイン・臨終に起きる心の痛みとその理由 スピリチュアル・ペインは、医学ではもちろんどうにもなり…

人が死を考えなければならない理由といろは歌

私達には、意識と深層心理の2つあります。 お酒やタバコを分かっちゃいるけど辞められないというのは、意識では知っているけど、深層心理からするとやってしまう、ということです。 席を譲るのはいいことだと分かっています。しかしお礼を期待する心ありま…

洗脳のしくみ

インターネットの悪口は、洗脳のようなものです。 悪口を言われても問題にならなくなる方法 洗脳の仕組みは巧みです。しかしながら発端は自分の心です。自分に騙されたいという望みがあるようなことでないと、洗脳はできません。自分の欲望に引きずられて自…

キルケゴールの実存哲学の生き方と仏教

キルケゴールと親鸞という本があります。哲学が似ていると思っているのです。 デンマークの哲学者、思想家です。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されています。 キルケゴールは42歳で亡くなったのですね。 道端に倒れて死んだと言…

ブッダの説かれた人間の姿

ブッダは大無量寿経(無量寿経)というお経にこう説かれています。心に常に悪を念い、口に常に悪を言い、身に常に悪を行じて、曾て一善なし。 これは、全人類は、心と口と身体で悪を造り続けているということです。すべての人は悪人だということです。 そし…

阿弥陀如来からの2つのプレゼント

阿弥陀如来に救われた人が衆生済度に戻ってくるというのは、どういうことかというと、阿弥陀如来に救われると、2つのものを頂きます。 これを「如来二種の廻向」といいます。親鸞聖人は、慎んで浄土真宗を按ずるに二種の廻向あり。一つには往相、二つには還…

実存主義哲学キルケゴールの実存の三段階

倫理の教科書によく、哲学について書かれています。その中に、西洋哲学の終わりの方に実存主義があります。実存主義の先駆けといわれるのがキルケゴールという哲学者です。 西洋哲学の最後は実存主義ですが、その最初がキルケゴールです。同年代で ニーチェ…

西洋の行き詰まりの解決を求めて仏教に注目

西洋の行き詰まりの解決を東洋に求めて仏教が注目を集めています。数年前のヨーロッパ、特にフランスで仏教ブームが起きました。禅という言葉は、フランス語になっています。 日本でヒーリングをしているという意味で、禅をしているといいます。 宗教なら神…

ハイデッガーが発見した生きる意味

中外日報という、仏教関係の新聞があります。中外日報は、京都にある新聞です。新聞を毎週2回(水、金)と月2回、8頁の土曜版を発行しています。 その中に、昔、世界最高峰の哲学者ハイデッガーが親鸞聖人を賞賛したという記事がありました。ハイデッガーは…

絶対の幸福はないという主張

絶対の幸福がないという人があります。 まず、「絶対はない」という人がいるが、それは絶対は絶対ないという主張だから、自己矛盾です。 そんなことさえ分からないのです。相対しか分からない人が、絶対があるかどうか分からないなら言えます。絶対の幸福が…

親鸞聖人が比叡山を名指しで非難されないわけ

親鸞聖人は、日本中の僧侶のことを「諸寺の釈門」といわれて、「諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず」と教行信証に言われています。 教にくらくして、というのは、仏教が分かっていないということです。 真仮というのは、真実と方便ということで…