仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

罪悪

ブッダの説かれた人間の姿

ブッダは大無量寿経(無量寿経)というお経にこう説かれています。心に常に悪を念い、口に常に悪を言い、身に常に悪を行じて、曾て一善なし。 これは、全人類は、心と口と身体で悪を造り続けているということです。すべての人は悪人だということです。 そし…

欲望を満たすだけの人生は幸せ?

世間の人は欲望を満たせば幸せになれると思っています。 私たちが持っている5つの欲の心とは? それは正しいでしょうか。 お釈迦様ももともと、カピラ城に住まれる王子でした。才能お金地位名誉もっておられました。皆がほしいというものすべてあった。それ…

煩悩で悪を造る姿

私たちは、三毒の煩悩で悪いことをやっています。 三毒の煩悩というのは、108の煩悩の中でも最も恐ろしい、貪欲と瞋恚と愚痴の3つです。まず貪欲は欲望のことです。欲の本性は我利我利です。自分さえよければ他人はどうなっても構わないと思っています。…

悪人を救う仏教

悪人正機は、悪人が救われるということです。 これは、悪人と善人があって、そのうちの悪人が救われるということではありません。すべての人は恐ろしい悪を作っている悪人だと見抜かれて、そういうものを助けようと立ち上がられたが阿弥陀如来です。つまり、…

食欲による殺生をしていませんか?

食欲というのは、食べたいという欲望です。食べるために生き物をどれだけ殺しているでしょうか。真理は、すべての命は同根だです。生き物を殺す罪を仏教で殺生罪といいますが、悪だという自覚がありません。人間は悪だけど、動物なら罪にならないと思います…

小説に見る無常観・哲学にない罪悪観

五木寛之という作家があります。以前も親鸞という新聞小説を書いていました。 仏教の中でも親鸞聖人や蓮如上人に関心を持っている人です。あの人の文章はプロだからうまいですね。内容も考えているなというところあります。 五木寛之の本の中にこういうこと…

最近の鶏は鳴かないようになった?

年配の方で、「昔の鶏はよく鳴いたけど、最近の鶏は鳴かなくなった。鶏も最近の若いもんと同じで働かなくなった」という人がありました。しかし鶏は、今でも鳴いています。 単に、その方の耳が聞こえにくくなっただけです。自分の耳が聞こえなくなったことを…

蓮如上人が嘘をつくよう教えられた理由

浄土真宗を日本最大の仏教の宗派にされた蓮如上人は首に賞金かけられました。それは、当時の仏教の中心だった比叡山からすれば、蓮如上人が邪魔だったからです。 蓮如上人の首をもってきたら賞金を与える。比叡山はこんなことまでしました。 だから当時蓮如…

煩悩をどうすればいいのか

すべての人は、煩悩具足だと仏教で教えられています。煩悩具足とは、煩悩の塊ということです。 煩悩というのは、欲望と怒りと愚痴など、私たちを煩わせ悩ませるものです。その煩悩によって、悪を造り、私たちは因果応報で苦しまなければならないのです。それ…

人間は7分に1度嘘をつく。

人間は7分に1度嘘をつくといわれます。 いつも嘘ばかりついているということです。 例えば手紙の最初に拝啓と書きます。拝啓とは、拝んでひらくという意味です。 拝んでいない人ばかりでしょう。 手紙の最後には、いつもあなたの御身体案じております……。と…

日本には車が何台あるか

昔中国の揚子江のほとりに城をもつ天子が、揚子江を眺めると、たくさんの船が通っていました。 そこで天子は宰相に尋ねます。「みよ、沢山の船が行き来しているが一体何艘ある?」 ところが宰相は「はい、二艘でございます」「何を申すか?朕がみるところで…

怒りっぽいと言われて怒る人

自分のことぐらい自分がよくわかっているよと言う人がいるかもしれませんが、 自分のことは自分がよく知っていると思っているけれど、分からないものは自分自身だと昔からこういわれます。 知るとのみ思いながらになによりも知られぬものは己なりけり ある人…

汝自身を知れ

「汝自身を知れ」 ギリシアのデルファイの神殿の第一の扉に、「汝自身を知れ」という不朽の名言が今も刻まれている。 誰か哲学者の言葉ですが、ソクラテスの言葉ともいわれます。 とすると、ギリシア哲学は、2000年以上前の古代哲学ですから、それ以来ず…

17歳の暴力事件の原因

以前、渋谷で、バットで行き交う人を殴ったという事件がありました。次から次へと来た人を片っ端からぶん殴ります。ひどいやつだなと思います。17歳の犯罪でした。 バットで叩いた少年は「気分がむしゃくしゃしていた。お父さんに叱られたから。父親に対す…

体で殺すよりも心で殺すほうが恐ろしい

仏教では「殺るよりも劣らぬものは思う罪」と歌われるように、手にかけて殺すのも殺生罪ですが、心で思ったらもう殺生罪です。 この心の罪というのは信仰が進んで罪悪感が深まらないと、わかりません。ですが真実はそうです。 わかりやすく数字でいえば、口…

全人類は悪人と聞いて人間不信に陥る?

仏教を聞いたある人が、ブッダの説かれるすべての人の悪を造っている姿を聞いて「わたしは人間不信に陥りました」という人がいました。 「だからみんなと一緒に団結してやっていくことはできません」と言います。 その理由は、心口各異だから。思っているこ…

仏教で泥棒とは?

仏教で 偸盗という悪があります。 偸盗とは盗みを働くということですが、偸は、こそこそ盗む。盗は堂々と盗むと言う意味があるそうです。 いずれも盗みを働く。泥棒です。 これが偸盗罪ですが、この言葉は不与取ともいいます。 与えずして取る。これがもとの…

たちの悪い嘘とは

仏教で妄語という悪があります。これは文字通り嘘ですね。妄語とは嘘。この嘘でも誰でも聞いているように、たちの悪い嘘と、そうでない嘘があります。 問題はこれ心がどうかなんですね。方便としての嘘は、大事なことがあります。嘘をついて人を苦しめる、欲…

浄土真宗で罪に大小がないのはなぜ?

浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、罪に大きい小さいはないといわれています。 もとより罪体の凡夫大小を論ぜず、三業みな罪にあらずということなし口伝鈔に これを私たちはどのように理解すればよいでしょうか。 これはちょうど人間には美しい人、醜い人…

仏教を謗る罪の恐ろしさとは?

仏教で一番重い罪は謗法罪だと教えられています。 謗法罪とは仏法を謗る罪、これが一番重い罪であり重罪です。なぜかというと全人類の助かるたった一本の道、これが仏教です。それを断ち切ってしまうからです。 こんな恐ろしい罪はありません。橋がかかって…

私たちは常に悪を思っている?「常」とは

ブッダは私たちの姿をこう教えられています。 心常念悪………心は常に悪を念い 口常言悪………口は常に悪を言い 身常行悪………身は常に悪を行い 曽無一善………かつて一善もなし ここで常という言葉、ここ注意して貰いたいですね。これかつて仏教の講師が新潟県で話した…

自惚れる価値のないものを自惚れる心

仏教で、邪慢という自惚れ心が教えられています。 邪慢とは、自惚れる価値のないものを自惚れることです。よこしまな、自惚れる価値のないものを自惚れることです。自慢できることではないことを自惚れることがあります。 自惚れる価値のないものを自惚れま…

自分と同等な人に対する自惚れ

仏教で、自惚れ心を慢といいます。 7つに分けて七慢といわれますが、その中に過慢という自惚れがあります。 これは、自分と同等な人に対して、自惚れます。ほとんど等しい人に対する自惚れです。能力から言ったら同じ立場であっても私の方がいいんだと自惚…

三毒の煩悩とは?

仏教では、私たちを煩わせ、悩ませる煩悩に108あると教えられています。 中でも最も恐ろしい3つが、貪欲と瞋恚と愚痴の3つです。 それぞれどんなものかというと、まず貪欲ですが、貪る欲とある。仏教では欲そのものに善悪 はない。 しかし、貪る、つま…

正も邪も勝手に決める我が都合

正邪というのは、自分の都合によって変わります。「正も邪も勝手に決める我が都合」という言葉があります。 正しい人いい人は都合のいい人。悪い人というのは、自分の都合の悪い人です。自分を認めてくれる人はいい人、邪魔する人は悪い人です。 親鸞聖人が…

愚痴の煩悩

煩悩の一つに愚痴という心があります。 怒りがぶつけられない相手にたいしては、愚痴の心が出てきます。 愚痴とは、人を怨んだり、妬んだり、そねんだり、嫉妬したり、憎んだりする心です。 人が幸せそうになっていると喜べない心です。自分より、若い男がベ…

一生造悪とは

あるとき禅宗の僧侶の仙崖が谷底で寒さに苦しんでいた乞食に一枚のはおるものを与えたことがありました。 ところが、その乞食はそれをとるなり、すぐ身に纏ってしまいました。何もいいません。 そして仙崖はその乞食が何もいわないので、「おーい、あたたか…

怒るとどうなる?

仏教で瞋恚(しんに)とは怒りの心です。以前、新聞に、馬鹿なカバの話が掲載されました。 カバが子供を宿したとき、飼育係の人が、子供を産みやすいように場所を移したら、カバが怒ってしまった。 そして、死産になってしまった。怒りの心が子供を殺してし…

一日何回心変わりする?

ブッダはすべての人のすがたをこのように教えられています。 心常念悪………心は常に悪を念い口常言悪………口は常に悪を言い身常行悪………身は常に悪を行い曽無一善………かつて一善もなし 心と口と体、常に悪の造り通し、ということです。 心が口や身体を動かしますか…

禅宗の僧侶、女を抱く

仏教では心を重くみられます。 口や身の行いをどれだけよくしようとしても、心が元ですから、元である心が最も重要なのです。 仏教では心の種まきを最も重視することを言われた一つのエピソードがあります。 明治時代の禅宗の僧侶に原担山という人がありまし…